6月5日に起きた災害|天平地震と聖武天皇の遷都から学ぶ防災カレンダー

6月5日に起きた災害|天平地震と聖武天皇の遷都から学ぶ防災カレンダー
こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。
6月5日は、今から約1280年前の奈良時代に、日本列島を大きく揺るがした地震が起きた日です。その名を天平地震といいます。
「奈良時代の地震なんて、今の自分に関係あるの?」と思う方もいるかもしれません。でも、この地震は単なる古い出来事ではなくて、当時の政治の中枢そのものを動かしてしまったという、歴史上でも非常に珍しい出来事なんですね。
天平地震が発生した数日後、時の天皇・聖武天皇は都を移しています。地震がきっかけで首都が変わった——そう聞くと、自然災害が持つ力の大きさを改めて感じませんか。
この記事では、6月5日に発生した天平地震と、聖武天皇が繰り返した遷都の歴史を振り返りながら、1300年近い時を経た今日の私たちが学べる防災の教訓を、防災士の視点でお伝えします。
過去の記録を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。

6月5日・聖武天皇の遷都と天平地震

天平17年6月5日に何があったのか

西暦745年6月5日(旧暦では天平17年4月27日)、美濃国——現在の岐阜県——を中心とした地域を、巨大な地震が襲いました。これが天平地震です。
史料によれば、この日の夜から揺れは始まり、三日三晩にわたって地震が続いたとされています。当時の記録書である『続日本紀』には次のように記されています。
「是日通夜地震、三日三夜、美濃国櫓館正倉、仏寺堂塔、百姓廬舎、触処崩壊」(その日は夜通し地震があり、三日三晩続いた。美濃国では役所の建物、正倉、寺院の堂塔、民衆の家が、少し触れただけで次々と崩壊した)
「触れると崩れた」という表現は、建物の損傷がすでに限界に達していたことを示しています。本震だけでなく、その後約20日間にわたって余震が続いたことも記録されており、地域の人々が長期にわたって恐怖と不安の中で過ごしたことが伝わってきます。
また、余震の期間中には地割れが生じ、水が湧き出したという記録もあります。これは現代の地震学でいう液状化現象に近い現象だったと考えられており、愛知県稲沢市の遺跡(地蔵越遺跡)の発掘調査でも、奈良時代の土層に液状化によると推定される砂脈が確認されています。
天平地震の規模と被害の記録

現代の研究者による推定では、天平地震の規模はマグニチュード7.9程度とされています(河角廣1951・宇佐美2003)。ただし、これは古い史料をもとにした推定値であり、「過大評価の可能性がある」という指摘(石橋2023)もあるため、研究者の間でも評価に幅があります。
それでも、「三日三晩続いた揺れ」「建物が次々と崩壊」という記録から、相当規模の大地震であったことは確かで、明治時代の地震学者・大森房吉は「1891年の濃尾地震(M8.0)に匹敵する、あるいは類似した地震だった可能性がある」と述べています。
震央は岐阜市付近と推定されており、その後の地質調査からは、養老-桑名-四日市断層帯(岐阜県垂井町〜三重県四日市市、全長約60km)が関与したとする説が有力視されています。
養老-桑名-四日市断層帯とは
地震調査研究推進本部の評価によると、この断層帯は過去2000年間に2回活動したとされており、一つ前の活動時期が「7世紀以後〜11世紀以前」と推定されています。745年の天平地震がその活動に当たる可能性が指摘されていますが、史料が少なく断定には至っていません。将来の活動時にはM8程度の地震が発生すると推定されています(出典:地震調査研究推進本部「養老-桑名-四日市断層帯の評価」)。
聖武天皇が都を転々とした理由

天平地震をより深く理解するために、少しだけ当時の時代背景をお伝えしますね。
聖武天皇の治世(724〜749年)は、まさに「災難が重なった時代」でした。研究者たちの見解をまとめると、遷都の背景には以下のような複合的な要因があったとされています。
【聖武天皇時代の主な出来事】
・737年(天平9年):天然痘が大流行。藤原四兄弟をはじめ政府高官の多くが病没
・740年(天平12年):藤原広嗣の乱(政治的混乱)
・741年(天平13年):旱魃・飢餓が続く。国分寺建立の詔
・743年(天平15年):東大寺大仏造立の詔
・745年6月5日:天平地震発生→平城京へ復都
天然痘は九州から徐々に広がり、平城京にまで達しました。政治を支えていた藤原四兄弟がほぼ全員病没するという前代未聞の事態に、聖武天皇は「この都には災いが集まっている」と考えたとされています。
当時の人々にとって、疫病や地震は「土地の穢れ」や「祟り」と結びついて捉えられることが多く、都を移すことは単なる引越しではなく、悪しき縁を断ち切るための宗教的・政治的行為でもありました。
仏教に深く帰依した聖武天皇は、国分寺や東大寺の大仏によって仏の力で国を守る「鎮護国家」の実現を目指していました。遷都は、そのような思想とも深く結びついていたのです。
5年間に4回の遷都・彷徨五年とは

740年から745年にかけての約5年間、聖武天皇は平城京を離れ、3つの都を転々としました。この時期は後に「彷徨五年(ほうこうごねん)」と呼ばれています。
| 時期 | 都 | 現在地 | 背景 |
|---|---|---|---|
| 〜740年 | 平城京 | 奈良市 | 本来の都。天然痘流行・政変で離脱 |
| 740〜744年 | 恭仁京 | 京都府木津川市 | 物流拠点として新造。完成前に離脱 |
| 744年 | 難波宮 | 大阪市 | 瀬戸内海交通の要。副都として整備済み |
| 745年元旦〜 | 紫香楽京 | 滋賀県甲賀市 | 大仏造立の地として選定 |
| 745年6月〜 | 平城京(復都) | 奈良市 | 天平地震後、数日で復都を決断 |
5年間で4回の遷都——現代の感覚では信じがたいことですが、当時は官人(役人)も民衆も、天皇の決断に従って都とともに移動することが求められました。建設途中の都を捨てて次の都へ向かうたびに、膨大な人的・経済的コストが発生していたはずです。
そして745年の天平地震が発生した数日後、聖武天皇はついに平城京への帰還を決断します。5年間の彷徨に幕が下りたのです。
地震が政治を動かしたメカニズム

ここで少し「防災理科」的な視点からお話しします。
天平地震の震源と推定される美濃国は、当時聖武天皇が滞在していた紫香楽京(滋賀県)から直線距離で約80〜100kmの位置にあります。M7.9クラスの地震であれば、その距離でもかなりの揺れが伝わっていたと考えられます。
現代の地震学では、M7.9クラスの地震が発生した場合、震源の深さや地盤の条件にもよりますが、数十〜100km離れた地点でも相当の揺れが伝わることがあります。紫香楽京でも相応の揺れを感じた可能性が高く、建設中の建物への影響も懸念されたことでしょう。
さらに、当時は「地震=天の怒り・土地の祟り」という世界観が支配的でした。天平地震の発生は、紫香楽京での大仏造立計画が進んでいた最中のことです。地震という「天変地異」が、「この地は神仏に選ばれていない」というシグナルと解釈された可能性は十分あります。
科学的要因と宗教的解釈が重なり合うかたちで、聖武天皇の決断を後押ししたと考えられています。いずれにせよ、地震という自然現象が、国の方針を動かした——これは日本の歴史の中でも稀有な事例です。
聖武天皇の遷都が教える防災の知恵

情報不足が招いた混乱と判断の難しさ

天平地震の時代において、最も大きな課題の一つは「情報の欠如」だったと思います。
現代なら、地震が発生した数分以内に気象庁から震源・規模・津波の有無などの情報が発表されます。スマートフォンには緊急地震速報が届き、ハザードマップで自宅のリスクを確認することもできます。
でも、奈良時代には当然そんな仕組みはありません。美濃国で大地震が起きた情報が紫香楽京に伝わるのには、馬を走らせても数日かかったでしょう。被害の規模も、正確には把握できなかったはずです。
情報が届かない→被害の全容がわからない→どう対応すべきか判断できない——この構造は、実は現代の大規模災害でも起きることです。東日本大震災でも、発生直後は被害の全容把握に時間がかかりました。
教訓①:情報の空白を前提に備える
いざという時、正確な情報はすぐには届かないかもしれません。「情報がないこと」を想定した上で、自分と家族が自律的に動ける備えをしておくことが重要です。
「逃げる」選択を可能にした条件とは

聖武天皇が紫香楽京から平城京へ移ったことは、当時の文脈では「撤退」でした。しかしこれを、現代の防災の観点から捉え直すと、「早期決断による被害拡大の回避」と見ることもできます。
地震が起きた後も紫香楽京にとどまっていたら、余震が続く不安定な環境で大規模な建設工事を続けることになっていたかもしれません。政治的・経済的リソースを浪費するリスクもありました。
「逃げる(移る)」という選択を実行できたのは、行き先(平城京)がすでに存在していたからです。これは現代の防災にも通じるポイントです。
避難を実行できる条件は、「避難先が決まっている」「持ち出すものがまとまっている」「家族と連絡が取れる」の三つです。天平の時代から1300年近く経った今も、「備えが逃げることを可能にする」という本質は変わっていません。
防災リュックの準備や中身の確認については、防災リュックの中身リストと選び方をぜひ参考にしてみてください。
奈良時代から変わらない備えの本質

聖武天皇の時代に立て続けに発生した災害——天然痘、旱魃、地震——は、現代でも十分起こりうる脅威です。感染症のパンデミックも、大規模地震も、気候変動による農業被害も、1300年前と本質的に変わりません。
当時、聖武天皇が対抗策として選んだのは「仏教の力(国分寺・大仏)」でした。現代の私たちが選べる対抗策は「科学に基づいた備え」です。
耐震化された建物、食料と水の備蓄、家族との連絡手段の確認、ハザードマップの把握——これらは「気休め」ではなく、データに裏付けられた命を守る手段です。
奈良時代の人々が「土地の穢れを断ち切るために都を移す」しかなかった時代から、私たちは「備えることで命を守れる」時代に生きています。この差は、知識と行動の積み重ねによるものです。
日本の地震の歴史と教訓については、日本の大地震の歴史に学ぶ!過去の被害年表と未来への対策もあわせてご覧ください。
家族と決めておく避難の三か条

天平地震の教訓を、今日の備えに落とし込むとすれば、私は「避難の三か条」を家族で共有しておくことをお勧めしています。
【避難の三か条】
①どこへ逃げるか決めておく——避難場所は地域ごとに指定されています。ハザードマップで確認し、「第一避難所」「第二避難所」を家族全員が把握しておきましょう。
②何を持って逃げるか決めておく——防災リュックに何が入っているかを全員が知っている状態をつくりましょう。「袋はあるけど中身がわからない」では、いざという時に混乱します。
③誰と連絡をとるか決めておく——大規模地震では携帯電話がつながりにくくなります。集合場所と連絡手段(171災害用伝言ダイヤルなど)を事前に決めておくことが大切です。
聖武天皇の時代には「行き先(平城京)が既にあった」ことが復都を可能にしました。現代の私たちにとっての「行き先」は、事前に決めておいた避難所です。
地震の備えに必要なものを体系的に確認したい方には、【2026年版】地震に備えるものリスト完全版もご参考ください。
まとめ:聖武天皇の遷都と今日の備え

6月5日は、745年に天平地震が発生した日です。美濃国を中心に甚大な被害をもたらしたこの地震は、建設中だった紫香楽京を事実上終わらせ、聖武天皇の平城京への復都という歴史的な決断を促しました。
5年間で4回の遷都——「彷徨五年」と呼ばれたこの時代は、天然痘・旱魃・政変・地震という複合的な危機に直面した人々の記録です。当時の人々が情報も技術も不足する中で、それでも生き延びようとした事実は、静かに私たちに語りかけてきます。
聖武天皇の遷都から学べる防災の教訓は、シンプルです。
- 情報の空白を前提に、自律的に動ける備えをしておく
- 「逃げる先」を事前に決めておくことが、逃げることを可能にする
- 知識と備えの積み重ねが、1300年前との最大の違いである
福島で東日本大震災を経験した防災士として、この教訓の重さを感じます。過去の災害は、遠い昔の話ではありません。今日の備えを見直すきっかけになります。大切な人を守るために、まずはできることから始めていきましょう。
参考情報について
本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。
本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。
数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。
天平地震が教えてくれた備え
745年の天平地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。
あなたの備えを今すぐ確認してください。
あなたの防災度チェック
- [ ] 家族全員で避難場所・避難ルートを確認している
- [ ] 防災リュックの中身を半年以内に点検した
- [ ] 食料・飲料水を3日分以上備蓄している
- [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
- [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している
天平地震の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。
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🛡️ 防災士監修記事
後藤 秀和(ごとう ひでかず)
防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役
2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。




