7月28日に起きた災害|明治熊本地震と2016年の教訓

7月28日に起きた災害|明治熊本地震と2016年の教訓
こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。
7月28日は、過去にどのような災害が起きた日なのでしょうか。
この記事では、1889年(明治22年)7月28日に熊本県を襲った「明治熊本地震」を振り返り、2016年に同じ地域で発生した熊本地震と比較しながら、そこから私たちが今日できる備えを防災士の視点で解説します。
過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。
この記事でわかること
①明治熊本地震(1889年)の基本事実
②2016年の熊本地震との共通点と違い
③今日からできる地震への備え
7月28日に起きた地震を振り返る
明治熊本地震とは、1889年(明治22年)7月28日に熊本県熊本地方で発生した、マグニチュード6.3の内陸直下型地震のことです。
明治熊本地震は2016年の熊本地震とほぼ同じ地域で起きた地震で、137年前の記録が今の備えに直結するヒントを残しています。
「熊本地震」という言葉を聞くと、多くの方は2016年(平成28年)に震度7が2回続いたあの災害を思い出すのではないでしょうか。しかし熊本では、実はそれより127年前にも、ほぼ同じ場所で大きな地震が起きていました。地震というのは、私たちが思っているよりずっと長いスケールで、同じ土地に繰り返し試練を与えてくるものなのかもしれません。今回は、この「もう一つの熊本地震」を知ることで見えてくる教訓についてお話しします。
1889年明治熊本地震とは何か

明治熊本地震は、熊本市の西方、金峰山の南東麓付近を震源として発生したことから「金峰山地震」とも呼ばれています。2016年に同一地域で発生した地震と区別するため、現在では「明治熊本地震」という呼び方が使われています。熊本地震で熊本城はどうなった?被害・奇跡の一本石垣・復旧の教訓でも触れていますが、熊本城はこの明治熊本地震でも被害を受けており、城内の石垣が崩落し、当時駐屯していた鎮台兵にも死傷者が出たという記録が残っています。城という当時の最重要施設にすら被害が及んだことは、この地震の揺れの強さを物語っています。
気象庁による近代的な震度観測が始まったのは1885年(明治18年)のことです。明治熊本地震は、その観測体制が整って間もない時期に都市を直撃した、最初の本格的な被害地震とされています。日本の地震学そのものも、この4年前にあたる1880年の横浜での地震をきっかけに発足した日本地震学会から本格化していった時期でした。つまり明治熊本地震は、「日本が地震を科学的に記録し始めた直後に起きた、最初の本格的な試験台」のような地震だったともいえます。
明治熊本地震は、当時の帝国大学理科大学の科学者たちが余震観測や現地調査を行った地震でもあります。国立科学博物館には、熊本城の崩れた石垣や町の被害、仮設住宅の様子を記録した11枚の写真が今も保存されており、日本で最も古い「地震被害を意図的に記録した写真」とされています。揺れの記録は遠くドイツ・ポツダムの重力計にまで残されていたといいますから、当時としては世界的にも注目された地震だったのだと思います。
当日と前後の地震活動

記録によると、明治熊本地震の本震が起きた6日後にも大きな地震が発生し、その後も多くの余震が続いたとされています。当時の新聞記者が残した震災日記には、繰り返す揺れに「身の要心をなす」人々の様子や、避難のために荷馬車・人力車の賃金が急騰した様子などが記されており、揺れが一度収まっても安心できない状況が137年前から変わらず存在していたことが分かります。
当時の人々は、原因が分からないまま「山が噴火するのではないか」という風評に振り回されたという記録も残っています。情報が正しく行き渡らない中で人々が不安に駆られるという構図は、現代のSNS時代にもそのまま通じる教訓だと感じます。明治の時代には今のようなテレビもインターネットもありませんから、人から人へ伝わる、本当かどうか分からない話に頼るしかない部分も大きかったはずです。それでも「とにかく身の安全を確保する」という人々の行動そのものは、今の私たちが見ても理にかなっているものでした。
ちなみに1889年は、2月に大日本帝国憲法が公布され、7月には東海道線が全線開通、熊本市が市制を敷いたのもこの年の4月1日でした。近代国家としての形が整い始めたまさにそのときに、この地震が熊本を襲ったことになります。
明治熊本地震の概要と被害規模
いつどこで発生したのか

明治熊本地震は、1889年7月28日23時45分、熊本県熊本地方を震源として発生しました。震源の深さや詳細なメカニズムについては当時の観測技術の限界もあり推定にとどまる部分もありますが、震源は熊本市の西方、金峰山付近とされています。深夜に発生したため、就寝中だった多くの人々が突然の激震に襲われたことが想像されます。電気もガス灯が主流だった時代ですから、暗闇の中での被害確認や救助活動は、現代とは比べものにならないほど困難を伴ったはずです。
どのような被害があったのか

明治熊本地震では、20名の方が犠牲になりました。建物の全潰は239棟とする資料が一般的ですが、数百棟が全半壊したとする記録もあり、資料により多少の差異があります。熊本城も大きな被害を受け、百閒石垣の一部・約9メートルが崩落するなど、当時の記録には城内の混乱の様子が詳しく残されています。後の2016年の被害とも重なる部分が多く、「同じ場所が同じように弱い」ことを示す貴重な実例だと感じます。
下の表に、明治熊本地震と2016年の熊本地震の主な数値を整理しました。あわせてご覧ください。
| 項目 | 1889年 明治熊本地震 | 2016年 熊本地震 |
|---|---|---|
| 発生 | 7月28日23時45分 | 前震4/14 21:26/本震4/16 1:25 |
| 規模 | M6.3 | 前震M6.5/本震M7.3 |
| 最大震度 | 現行基準なら震度6強相当とされる | 7(前震・本震とも) |
| 死者 | 20名 | 273名(災害関連死218名含む) |
| 建物被害 | 全潰239棟(資料により差あり) | 住家被害計約20万棟 |
※2016年の死者数は災害関連死の認定が継続的に更新されているため、調査時点により273〜278名など複数の数値が公表されています。本稿では熊本県発表(2024年3月時点)の数値を採用しています。
熊本地震1889年と2016年の比較
震源と断層の違い

明治熊本地震と2016年の熊本地震は、震源がほぼ同じ地域に位置しているとされています。ただし、明治熊本地震は被害の分布が西側に寄っていたことから、2016年の熊本地震では活動しなかった布田川断層帯の西側部分が動いたのではないかという見方もあります。つまり「同じ断層帯」ではあっても、「動いた区間」は違う可能性があるということです。
ここで少し「防災理科」的な話をします。直下型地震は、海溝から離れた陸地の地下にある活断層が、地下にたまった力に耐えきれずずれ動くことで発生します。このとき、長い断層帯全体が一度にまとめて動くわけではなく、区間ごとに割れることが多いとされています。断層による崖のでき方と防災の知識でも解説していますが、この「区間ごとに動く」性質があるからこそ、同じ断層帯沿いで時期をずらして複数回、規模も特徴も少し違う地震が起きることがあるのです。明治熊本地震と2016年の熊本地震の関係は、この仕組みを理解するうえでとても分かりやすい実例だと感じます。
規模と被害の違い

マグニチュードだけを見ると、明治熊本地震(M6.3)と2016年の熊本地震の前震(M6.5)はそれほど大きな差はありません。しかし2016年は本震でM7.3まで規模が上がり、震度7の揺れが2回連続するという、観測史上極めてまれな事態になりました。熊本地震の災害関連死はなぜ8割?原因と今日からできる備えで詳しく触れていますが、繰り返す揺れが住宅や人の心身に与える負担は、最初の揺れの規模だけでは測れない部分が大きいと感じます。明治熊本地震でも本震後にさらに大きな地震が発生したとされており、「揺れが続く」ことへの警戒は時代を超えた共通点といえそうです。
明治熊本地震から学ぶ防災の教訓
繰り返す地震への備え

2011年3月11日に福島で東日本大震災を経験した私自身、大きな揺れの後も気が抜けない時間がしばらく続いたことを覚えています。明治熊本地震でも本震の後にさらに大きな地震が発生したという記録があり、「一度大きな揺れが来たら、しばらく油断しない」という教訓は、137年前も今も変わらないのだと感じます。
大きな地震の後は、たとえ揺れが収まったように見えても、数日から1週間程度は同程度の揺れが再び来る可能性を念頭に置いて行動することが大切です。「もう終わった」と決めつけないことが、次の被害を防ぐ第一歩になります。
古い建物や石垣のリスク
明治熊本地震・2016年の熊本地震ともに、熊本城の石垣が大きな被害を受けています。石垣のような伝統的な構造物だけでなく、現代の住宅でも、古い基準で建てられた建物や、繰り返す揺れに弱い構造には注意が必要です。「新しい基準だから安心」と思い込まず、自宅の耐震性を一度確認しておくことをおすすめします。あわせて、家具の固定やガラスの飛散防止といった、今すぐできる対策も見直しておきたいところです。
今日見直したい防災チェックリスト
防災リュックと備蓄の確認

- 懐中電灯・モバイルバッテリーが使える状態か確認する
- 水・食料・携帯トイレの期限を確認する
- 家族の避難場所と連絡方法を話し合う
- 自宅・職場周辺のハザードマップを確認する
- 防災リュックの重さが無理なく背負える範囲か見直す(目安:男性10kg以下・女性7kg以下)
熊本地震の備えにおすすめのセット

明治熊本地震も2016年の熊本地震も、揺れそのものに加え、その後の生活をどう乗り切るかが大きな課題になりました。ライト・水・携帯トイレ・情報収集手段など、発災直後の数日間を支える備えをまとめて確認しておくことで、いざという時の初動が取りやすくなります。
まだ備えが十分でない方は、防災リュックや家庭用備蓄を一度見直してみてください。
よくある質問
Q. 明治熊本地震とはどんな地震ですか? A. 1889年(明治22年)7月28日に熊本県熊本地方で発生したマグニチュード6.3の直下型地震です。20名の方が犠牲になり、建物の全潰239棟(資料により差あり)の被害が出ました。熊本城の石垣も崩落しています。 Q. 明治熊本地震と2016年の熊本地震は同じ断層が動いたのですか? A. 震源はほぼ同じ地域とされていますが、被害分布から見て2016年とは異なる区間が動いた可能性が指摘されています。活断層は区間ごとに動くことが多く、同じ断層帯でも発生する地震が毎回同じというわけではありません。なお2016年の死者数は調査時点により273〜278名など複数の値が公表されています。 Q. 明治熊本地震はなぜあまり知られていないのですか? A. その2年後に発生した濃尾地震の影響もあり、比較的知られにくい地震となったとされています。規模は中規模でしたが、近代地震学が始まって初めて都市を襲った浅発地震として、学術的には重要な事例です。 Q. 7月28日の地震から学べる今日の備えは何ですか? A. 大きな揺れの後も油断せず、数日は同程度の揺れに備える姿勢が一つの教訓です。また、自宅の耐震性確認や、水・食料・携帯トイレなどの備蓄、家族との連絡方法の確認も今日から見直せる備えです。
明治熊本地震の教訓まとめ
1889年の明治熊本地震と2016年の熊本地震は、ほぼ同じ地域で127年の時を経て発生した、規模も性質も少し異なる2つの地震でした。被害の大きさは違いますが、「繰り返す揺れに油断しない」「古い構造物・建物のリスクを知る」という教訓は共通しています。
過去の災害は、遠い昔の話ではありません。7月28日という日付をきっかけに、今日できる備えを一つずつ見直していただければと思います。大切な人を守るために、まずはできることから始めていきましょう。
数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。
参考情報について
本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。
本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。
🛡️ 防災士監修記事
後藤 秀和(ごとう ひでかず)
防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役
2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。





