MENU

昭和28年西日本水害とは|九州北部水害3つの教訓【保存版】

昭和28年西日本水害で九州北部の河川が増水し町が浸水する様子

昭和28年西日本水害とは|九州北部水害3つの教訓【保存版】

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

「西日本水害」という言葉を聞くと、2018年の西日本豪雨を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし今回お話ししたいのは、それよりも65年さかのぼった1953年(昭和28年)に九州北部を襲った「昭和28年西日本水害」です。地域によっては「白川大水害」「北九州大水害」とも呼ばれ、戦後の日本の治水のあり方を根本から変えるきっかけになった、知っておいていただきたい災害です。

当時の九州は、戦後復興の最中にありました。インフラの整備が今ほど進んでいない時代に、これほどの規模の豪雨に見舞われたことが、被害の大きさにもつながっています。

昭和28年西日本水害の教訓は、過去の備えと治水の積み重ねが、今の暮らしの安全を支えているという事実です。

1953年、九州北部を突如襲った「昭和28年西日本水害」 記録的な豪雨だけでなく、「ある不運な条件」が重なったことで、街を飲み込む巨大な土石流が発生し、被害は想像を絶する規模へと拡大してしまいました…。

さらに、本州と九州を繋ぐ交通網が絶たれ、被災地は完全な孤立状態に。 果たして、被害を最悪なものにした原因とは?

目次

昭和28年西日本水害とは何が起きたか

昭和28年西日本水害で九州北部の河川が氾濫した様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

昭和28年西日本水害とは、1953年6月25日から29日にかけて九州北部(福岡・佐賀・熊本・大分の4県)を襲った、梅雨前線による集中豪雨水害のことです。

九州最大の河川である筑後川をはじめ、白川など九州北部を流れる主な河川がほぼすべて氾濫し、死者・行方不明者1,000名を超える、戦後最悪クラスの水害となりました。

発生日時と被災地域の概要

昭和28年西日本水害の被災地域となった九州北部の地形と河川
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1953年(昭和28年)の梅雨は、平年より半月ほど早い5月下旬に始まり、梅雨明けも平年より遅い7月20日頃までと、非常に長期間続いた年でした。そのなかでも6月25日から29日にかけて、阿蘇山麓・英彦山麓を中心に総降水量が1,000ミリを超える地点も出るほどの記録的な豪雨が降り続きました。

被災地域は福岡県・佐賀県・熊本県・大分県の九州北部一帯。特に被害が大きかったのは、筑後川流域の久留米市周辺と、熊本市内を流れる白川流域です。象徴的な被害として、関門海峡を通る関門トンネルが1942年の開通以来初めて水没し、復旧までに2週間以上を要したという記録も残っています。

この水害には気象庁による正式な災害名がなく、地域によって「白川大水害」「6.26水害」「北九州大水害」など呼び方が異なります。本記事では土木学会西部支部の調査報告書に準拠し「昭和28年西日本水害」と表記します。

項目内容
発生期間1953年6月25日〜29日
主な被災地域福岡県・佐賀県・熊本県・大分県
死者・行方不明者1,000名超(資料により差異あり)
浸水家屋45万棟以上
被災者数約100万人
主な被災河川筑後川・白川など九州北部一帯

こうして数字で見ると、九州北部の主要河川がほぼ同時に氾濫したという、被害の広さと深刻さが伝わってくるのではないでしょうか。

死者・行方不明者と被害規模

昭和28年西日本水害で広範囲に浸水した住宅地の様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

死者・行方不明者数は資料によって1,001名〜1,013名と若干の差異がありますが、いずれにしても1,000名を超える方が犠牲になった戦後屈指の水害です。浸水家屋は45万棟以上、被災者数は約100万人にのぼったとされています。

同じ1953年には、この水害の直後にも紀州大水害(7月、死者・行方不明者1,046名)、南山城水害(8月、死者105名)、そして9月の台風13号(死者・行方不明者478名)と、日本各地で立て続けに大水害が発生しました。当時の一般会計予算の約半額にあたる被害額が出たとされ、「水害の当たり年」と記録される年でした。

豪雨被害が拡大した気象的要因

梅雨前線による豪雨で山地から河川へ大量の雨水が流れ込む様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

被害がここまで拡大した背景には、複数の要因が重なったと考えられています。第一に、梅雨前線が長期間にわたって九州北部に停滞し続け、平年の4〜5倍という記録的な降雨量をもたらしたこと。第二に、阿蘇山麓や英彦山麓といった急峻な山間部に雨が集中したことで、土砂とともに大量の水が一気に河川へ流れ込んだことです。

さらに、戦後復興期だったこの当時は、森林の伐採が進んでいた一方で治水対策の整備が追いついていなかったという社会的な背景もあったとされています。自然条件と社会条件が同時に重なったことが、被害をより大きくしたという見方が、後年の調査でも指摘されています。

行政と地域社会の対応の記録

昭和28年西日本水害で地域住民や消防が救助活動を行う様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

当時の記録には、堤防が決壊した久留米市で、真水を確保するためにろ過器が運び込まれた様子や、地元の消防・警察・住民が協力して屋根に取り残された人々を救出した様子などが残されています。久留米駅周辺では生活物資が舟で運び込まれ、線路伝いに薬品を届ける作業が行われるなど、交通網が寸断されるなかでも、できる手段を使って人と物資をつなぐ努力が続けられていました。

情報通信網も寸断されるなか、地域ごとの助け合いが被害を最小限に食い止める力になったことがうかがえます。当時はラジオや新聞すら満足に届かない地域も多く、隣近所の声かけや、自治体・警察・消防の連携が、今でいう「共助」の原点だったといえるでしょう。

洪水のメカニズムについては、雨の降り方だけでなく地形や河川の構造も関わってきます。詳しい仕組みを知りたい方は、洪水はなぜ起こる?原因を簡単に解説の記事もあわせてご覧ください。

治水対策への影響と教訓

昭和28年西日本水害を教訓に整備された河川と治水インフラ
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

昭和28年西日本水害は、それまで積み上げられてきた治水事業を根本から見直すきっかけになりました。この水害を機に、筑後川をはじめとする九州北部の主要河川では治水計画が抜本的に改められ、治水と利水(発電・上水道など)をあわせて行う「多目的ダム」の建設が本格的に進められるようになります。

こうした戦後相次いだ水害の経験は、その後1964年の河川法全面改正という、現在の河川管理制度の土台にもつながっていきました。当時の洪水流量は、現在に至るまで筑後川の治水計画の目標値の一つとして使われ続けています(出典:国土交通省九州地方整備局『筑後川の洪水の歴史』)。

昭和28年西日本水害は、「過去の災害が現在の治水計画の基準になっている」という点で、決して遠い昔の話ではありません。今私たちが暮らす地域の治水も、こうした過去の災害の積み重ねの上に成り立っています。

昭和28年西日本水害から学ぶ備え

2011年3月11日、私は福島で東日本大震災を経験しました。ライフラインが止まった瞬間に日常がどれほどもろく崩れるかを、あのとき痛感しました。水害も地震と同じく、備えがあるかどうかで発災直後の数日間の過ごし方がまったく変わってきます。

現在も残る水害対策の課題

現代の都市部で豪雨により道路が冠水する様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

昭和28年の水害以降も、九州北部では2009年・2012年と同地域でほぼ同規模の豪雨が発生し、再び複数の犠牲者が出る被害が起きています。治水インフラが整備された現在でも、記録的な豪雨そのものを完全に防ぐことは難しく、「ハード対策が進んだから安心」とは言い切れないのが実情です。

多目的ダムや堤防の整備によって、昭和28年当時のような大河川の大規模決壊は起きにくくなりました。一方で、近年はダムでカバーしきれない都市部・中小河川での内水氾濫や、急な斜面で発生する土石流・がけ崩れが新たなリスクとして指摘されています。守られている部分とリスクが残る部分の両方を知っておくことが、現実的な備えにつながります。

2018年には西日本一帯で大規模な豪雨被害が発生しました。こちらは「西日本豪雨」と呼ばれ、今回ご紹介した昭和28年の水害とは別の災害ですが、同じ西日本で水害が繰り返されてきた歴史を知るうえで、西日本豪雨いつ起きた?原因と教訓を防災士が解説もぜひあわせて読んでみてください。

今日からできる水害への備え

水害に備えて防災リュックや飲料水を家庭で準備する様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

水害への備えとして、まず確認していただきたいのは以下の点です。

・自宅周辺のハザードマップで浸水想定区域を確認する
・避難場所までの経路と、水平避難・垂直避難どちらが適切かを把握しておく
・懐中電灯やモバイルバッテリーなど停電時に困らない備えをしておく
・飲料水・食料・携帯トイレを最低3日分、できれば1週間分備蓄しておく

九州北部では近年も線状降水帯による集中豪雨が繰り返されています。記憶に新しい事例として、九州北部豪雨とは|流木と線状降水帯3つの教訓の記事もあわせてご覧いただくと、現代の水害リスクとの共通点が見えてくるはずです。

水害時の避難で誤解しやすい点

水害時に家族で水平避難と垂直避難を判断する様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

「これまで浸水したことがないから今回も大丈夫」という考え方は、近年の気候変動を踏まえると必ずしも安全の根拠にはなりません。昭和28年当時、九州北部の多くの地域はそれ以前に大規模な水害を経験していませんでしたが、想定を超える豪雨によって被害が拡大しました。

また「避難指示が出てから動けばよい」という考え方も注意が必要です。夜間や早朝に状況が急変するケースもあるため、雨が強まる前の早めの判断が、命を守る最も大きな分かれ目になります。実際、昭和28年の水害でも豪雨のピークは日をまたいで北へと移動しており、自分の地域がまだ大丈夫に見えても、その後の数時間で状況が一変する可能性があったことがわかっています。

「避難場所まで遠いから」「雨の中を移動するのが怖いから」という理由で自宅にとどまる判断をする方も少なくありませんが、状況によっては自宅の上層階へ移る垂直避難という選択肢もあります。大切なのは、どちらか一方に決めつけず、自分の住む場所の地形や河川との距離をふまえて、あらかじめ判断基準を持っておくことです。

家族で共有したい避難の心得

家族でハザードマップを見ながら避難場所と連絡方法を確認する様子
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

2019年の令和元年台風19号のとき、私の親戚が住んでいたアパート周辺でも床上浸水の被害がありました。幸い大きな怪我はありませんでしたが、水が引くまでの数日間、片付けと生活の両立がいかに大変かを近くで見て感じました。

水害は地震と違い、ある程度の予測ができる災害です。だからこそ「雨が強くなってから考える」のではなく、晴れている今のうちに、家族で避難場所と連絡方法を話し合っておくことが何よりの備えになります。

昭和28年西日本水害が教えてくれた3つの教訓
①「浸水経験がない」は安全の根拠にならない
②過去の被害が、今の治水計画の基準として今も生きている
③晴れている日に家族で避難場所・連絡方法を決めておくことが最大の備え

まとめ|昭和28年西日本水害の教訓

昭和28年西日本水害は、1,000名を超える方が犠牲になった戦後屈指の水害であり、その教訓は今の治水計画にも生き続けています。一方で、治水インフラが整った現在でも、記録的な豪雨そのものを止めることはできません。

過去の災害を知ることは、不安をあおるためではなく、同じ被害を繰り返さないために今の備えを見直すきっかけにするためです。ハザードマップの確認、避難経路の把握、家庭の備蓄。どれも今日からすぐに始められることばかりです。70年以上前の人々が経験した教訓を、私たちの世代でも無駄にしないようにしていきたいですね。

昭和28年西日本水害が教えてくれた備え

昭和28年西日本水害から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。

あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

・自宅周辺に浸水経験がなくても、ハザードマップで浸水想定区域を確認している
・自宅周辺の治水状況(堤防・ダム等)と残るリスクを把握している
・晴れている日のうちに、家族で避難場所と連絡方法を決めてある
・持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
・家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

昭和28年西日本水害の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように整理しています。

👉 HIH防災リュック・セットを見る

よくある質問

Q. 昭和28年西日本水害はどこで発生しましたか?

A. 福岡県・佐賀県・熊本県・大分県の九州北部一帯で発生しました。特に筑後川流域の久留米市周辺と、熊本市内を流れる白川流域で被害が大きくなりました。

Q. 昭和28年西日本水害と2018年の西日本豪雨は同じ災害ですか?

A. 異なる災害です。昭和28年西日本水害は1953年、西日本豪雨(平成30年7月豪雨)は2018年に発生しています。名称が似ているため混同されやすい点に注意が必要です。

Q. 昭和28年西日本水害の死者数はどれくらいですか?

A. 資料により差異がありますが、死者・行方不明者は1,000名を超えたとされています。浸水家屋は45万棟以上、被災者数は約100万人にのぼったとされています。

Q. 昭和28年西日本水害は現在の防災にどう活かされていますか?

A. この水害をきっかけに筑後川など九州北部の治水計画が見直され、多目的ダムの建設が本格化しました。当時の洪水流量は、現在も治水計画の目標値の一つとして使われ続けています。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

本記事は公的資料をもとに作成していますが、災害の記録は調査の進展により数値が変わることがあります。最新の正確な情報は各省庁・自治体の公式情報をご確認ください。また、掲載内容は特定の個人・団体を批判するものではなく、防災の教訓を共有することを目的としています。

🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

一人暮らし向けの1人用防災リュックを背負った女性と商品画像を配置したHIH防災セットのLPバナー
夫婦・カップル向けの2人用防災セットを背負った男女と「大切な人と一緒に乗り越える備え。」のバナー
法人・団体向け防災対策として、企業が従業員に防災リュックを配布している様子を表したHIHの防災セット案内バナー
帽子型防災ヘルメット「ボウメット」を被った女性とHIHハザードリュック—HIH防災
ソーラーパネル付き防災セットのバナー

この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

目次