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6月28日の福井地震1948年|震度7誕生と3つの教訓

1948年6月28日に発生した福井地震と防災の教訓を伝えるアイキャッチ画像

6月28日の福井地震1948年|震度7誕生と3つの教訓

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

6月28日は、日本の防災の歴史において、とても大切な意味を持つ日です。1948年(昭和23年)のこの日、福井県を未曾有の直下型地震が襲いました。「福井地震」です。

この地震は、現在の震度7という概念を生み出し、2年後の建築基準法制定にも深く関わった、日本の防災制度の原点ともいえる災害です。2011年3月11日に福島で東日本大震災を経験した私が、この記録を振り返るとき、「備えることの意味」を改めて強く感じます。

過去の災害を知ることは、恐怖をあおるためではありません。同じ悲しみを繰り返さないために、今日の暮らしを見直すきっかけにするためです。6月28日というこの日を、防災を考える一日にしていただければと思います。

目次

6月28日・1948年福井地震の記録

1948年6月28日に福井平野で起きた福井地震の発生日を示すカレンダーのイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

昭和23年6月28日に何が起きたか

1948年6月28日午後4時13分に発生した福井地震の発生時刻を示すアナログ時計のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1948年(昭和23年)6月28日、午後4時13分。福井平野の浅い地下で、マグニチュード7.1の大地震が発生しました。震央は福井市の北北東約10km、現在の坂井市丸岡町付近とされています。

当時の気象庁震度階級では最大の「震度6」が記録されましたが、その揺れの規模は現在の基準に当てはめれば「震度7」相当と推定されています。この地震がきっかけで、翌1949年に震度7という階級が新たに設けられることになりました。

当時はサマータイム制度が実施されており、時計の上では「午後5時13分」でした。農繁期の夕方、田畑で作業を終えて帰宅する人々も多かった時間帯です。

福井平野はその3年前、1945年(昭和20年)7月の空襲で市街地の大部分が焼け野原になっていました。ようやく復興の歩みを始めた矢先に、今度は大地震が直撃したのです。戦争という傷も癒えぬなか、市民の方々が受けた打撃は計り知れないものがあります。

被害の規模と震源・断層の特徴

福井地震の震源地と被害範囲を示す北陸地方の地図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震がもたらした被害は、戦後の日本においても最大規模のものとなりました。

項目規模
犠牲者数3,769人(福井県3,278人・石川県41人ほか)
負傷者数22,000人以上
住家全壊34,000棟超
焼失家屋4,100棟以上
福井市内の全壊率約79〜80%
震源近傍の全壊率100%の集落が多数

(出典:内閣府防災『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1948福井地震』

犠牲者の数は、戦後に発生した地震の直接被害としては、東日本大震災・阪神淡路大震災に次ぐ規模とされています。「何時間歩いても、まともに立っている建物がひとつもなかった」という当時の体験談が残っており、福井平野がいかに壊滅的な状況だったかが伝わってきます。

被害が広がった地域は、今立郡から福井市を経て金津町(現あわら市東部)に至る南北約60km、東西約20kmの広大な範囲に及びました。

液状化・火災が広げた複合被害

地震による液状化と複合災害のしくみを図解したやさしいイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震の被害がここまで大きくなった要因は、一つではありません。複数の要因が重なり合った「複合被害」でした。

被害を拡大させた主な要因
① 震源が極めて浅かった(記録によって差があるが、ごく浅い地震とされている)
② 九頭竜川・足羽川・日野川が形成した軟弱な沖積地盤
③ 地震直後から発生した同時多発火災
④ 空襲からの復興途上で建物が脆弱だった
⑤ 約1ヶ月後の豪雨水害との複合災害

なかでも注目したいのは、九頭竜川水系の堤防が地震で被害を受け、その約1ヶ月後の7月下旬に上流で記録的な大雨が降り、堤防が決壊して水害が発生したことです。「空襲(1945年)→地震(1948年6月)→水害(1948年7月)」という3年間に3度の大規模災害が重なった複合災害は、現在でも防災研究上の重要な事例とされています。

また、九頭竜川に架かる橋梁がすべて被災したため、被災地が川によって分断されてしまいました。救援物資の輸送や医療活動が大きく遅れた教訓は、現在の道路・橋梁の耐震化政策にも引き継がれています。

都市部では、農繁期で屋外にいる人が多かった農村と異なり、建物内にいた方が多く、建物倒壊と火災の両方の被害を受けました。福井市内では4,100棟以上の焼失が記録されています。

丸岡城・大和百貨店に見る建物被害

地震で被災した古城が地域の人々の力で再建されたことを表すやさしいイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震では、さまざまな建物の被害記録が残っています。そのなかでも、大和百貨店(大和デパート)の崩壊は、この地震の象徴的な被害として語り継がれています。

当時、鉄筋コンクリート製の建物は「地震に強い」と考えられていました。しかし大和百貨店は崩壊し、その認識を大きく覆すことになりました。これが、後の建築基準法制定において鉄筋コンクリート造の耐震規定を見直す大きなきっかけになったとされています。

一方、震源地に近い丸岡城(現坂井市丸岡町)は、現存する日本最古の天守閣の一つとして知られる建造物ですが、この地震で天守が倒壊してしまいました。その後、地元の方々の手によって石材が丁寧に保存され、後年に再建されました。この再建の歴史も、地域の力と復興の記録として残っています。

丸岡城天守は倒壊後、崩れた部材の多くが保存され続けました。昭和26年(1951年)末に修理工事が起工され、もとの部材を最大限活かした修復再建が昭和30年(1955年)に完成しました。地域の人々の熱意が国を動かし、全国からの寄付によって実現した復興の記録です。

被害が拡大した要因と背景

沖積平野の軟弱な地盤の断面図を示す防災教育用イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震の被害がなぜここまで甚大になったのか、防災の視点から整理しておきたいと思います。

まず、地震が発生した時代背景を見逃せません。終戦から3年しか経っていない1948年、福井市は空襲で市街地の大部分を失い、食糧難と物資不足のなかで懸命に復興の途上にありました。建物の多くは応急的なものが多く、耐震性という概念自体がまだ十分に普及していませんでした。

次に、地盤の問題です。福井平野は九頭竜川・足羽川・日野川などが長い年月をかけて形成した沖積平野で、砂や粘土が厚く堆積した軟弱な地盤が広がっています。こうした地盤では、地震の揺れが増幅されやすく、また液状化と呼ばれる現象も起きやすいとされています。地割れや地盤沈下が広範囲に発生したのも、この地盤特性が影響したと考えられています。

そして通信の問題も深刻でした。加入電話の約91%が不通となり、地震発生から約1週間は一般の電話連絡がほとんど不可能な状態が続きました。情報が届かないことで、救援活動が著しく遅れた教訓は、現代の防災情報体制の整備にもつながっています。

福井地震1948年の教訓と今日の備え

活断層と直下型地震のしくみ

活断層による直下型地震のしくみを断面図で解説した防災イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震は、内陸の活断層が動いたことで発生した「直下型地震」です。ただし、この地震の断層には注目すべき特徴があります。

地表には断層が現れなかったのです。

「福井地震断層」「福井東側地震断層」という2本の深部断層の存在が後の調査で推定されていますが、既知の活断層との関係は今もはっきりしていない部分があります。これは「過去に活動歴が確認されていない場所でも、大地震は起きうる」ことを示す重要な事例として、現在の地震研究でも引用されています。

活断層と直下型地震のしくみについては、活断層と地震の関係を詳しく解説した記事もあわせてご覧ください。

地震が「どこで起きるかわからない」という現実は、私たちに「いつでも備える」という姿勢の大切さを教えてくれます。福島で東日本大震災を経験した私も、「まさかこんなに揺れるとは」という感覚は今でも記憶に残っています。あの日を経験したからこそ、「地震は予告なしにやってくる」という事実を、強く伝えたいと思っています。

直下型地震の3つの特徴
① 震源が浅い(数km〜20km程度)ため、地表への揺れが強くなりやすい
② 震源直上の狭い範囲に被害が集中する
③ 活断層がなくても発生することがある

建築基準法改正につながった転換点

建築基準法の制定によって耐震性が向上した建物の変化を示すイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震は、日本の「建物の耐震化」の歴史を大きく変えた災害でもありました。

1948年の地震被害調査の結果を受け、1949年には気象庁が震度階級を改定して「震度7(激震)」を新設しました。「家屋の倒壊が30%以上に及び、山崩れ・地割れ・断層などを生じる」という定義は、福井地震の実態から生まれたものです。この震度7は、その後1995年の阪神淡路大震災まで47年間、実際には適用されることがありませんでした。

そして1950年(昭和25年)、建築基準法が制定されました。この法律の耐震規定——木造建築物の壁量計算の考え方や、鉄筋コンクリート造の耐震設計基準——には、福井地震の被害調査が大きく影響しています。全国の建物に耐震設計が義務づけられる時代が、この法律から始まりました。

出来事福井地震との関係
1948年福井地震発生(M7.1)建物全壊率80%超・大和百貨店崩壊
1949年震度7「激震」新設福井地震の揺れが基準に
1950年建築基準法制定耐震規定に福井地震の教訓を反映
1981年新耐震基準施行宮城県沖地震(1978年)を経て強化
1995年阪神淡路大震災後に再改正現行の耐震基準へ

過去の大地震のたびに、日本の建物の基準は強化されてきました。現在の住宅の耐震基準は、福井地震をはじめとする多くの教訓の積み重ねの上に成り立っています。日本の大地震の歴史と耐震基準の変遷については、日本の大地震の歴史と年表をまとめた記事も参考になります。

復興から学ぶ地域の力と共助

地域の人々が協力して初期消火にあたる共助のシーンを描いたイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

空襲、地震、水害——3年間に3度の大規模災害に見舞われながら、福井市は力強く立ち上がり続けました。その復興の歩みを称えて、福井市は市民憲章で「不死鳥のまち」を宣言しています。

復興の過程では、地域の方々による助け合いが大きな力になりました。たとえば、地震直後に火災が発生した芦原町では、住民の方々が力を合わせて初期消火を行い、大規模な延焼を防いだという記録が残っています。「共助」の力が、どれだけ大切かをあらためて教えてくれます。

また、福井地震は1947年に施行されたばかりの災害救助法が全国で初めて適用された大規模災害でもありました。医療班の派遣、衣料品や日用品の給付など、現在の災害対応の原型がここにあります。

通信が途絶した被災地では、金沢〜福井間の公衆回線が翌日午前7時に開通し、警察・新聞社などの非常連絡や報道に活用されました。情報の途絶が救援を遅らせる——この教訓は現代の防災でも変わりません。

今日見直したい防災チェックリスト

家族が防災リュックの中身を確認している備え直しのシーンのイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

福井地震の教訓を、今日の備えに変えましょう。以下のチェックリストで、ご自身の準備状況を確認してみてください。

【建物・住まいの備え】

  • 自宅の建物は1981年以降の「新耐震基準」で建てられているか確認する
  • 家具・本棚・冷蔵庫などが転倒しないよう固定されているか確認する
  • 自宅周辺のハザードマップで液状化リスクエリアを確認する

【情報収集・通信の備え】

  • スマホに緊急地震速報が届く設定になっているか確認する
  • 停電・通信障害時の情報収集手段(手回しラジオ等)を用意する
  • 家族の連絡方法と集合場所を事前に決めておく

【避難・救援の備え】

  • 最寄りの避難場所と複数の避難ルートを確認する
  • 持ち出し袋(防災リュック)が玄関からすぐ持って出られる状態にある
  • 水・食料・携帯トイレを3日分以上備蓄しているか確認する

緊急地震速報の正しい使い方や受信設定については、緊急地震速報の仕組みとスマホ設定を解説した記事も参考にしてください。

「地震はどこで起きるかわからない」——福井地震はそれを証明した災害です。だからこそ、「どこにいても備えている」状態を作っておくことが大切です。

まとめ:福井地震1948年の教訓を今に生かす

過去の福井地震1948年の教訓と現代の防災備えをつなぐイメージイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1948年6月28日の福井地震から、私たちが受け取れる教訓を整理します。

福井地震1948年が残した3つの教訓
①「直下型地震」への備えを忘れない
活断層が既知でなくても大地震は起こりうる。震源が浅い直下型は揺れが強く、被害が集中する。

②「建物の耐震性」を今すぐ確認する
福井地震の教訓が建築基準法を生んだ。旧耐震基準(1981年以前)の建物は特に注意が必要。

③「複合災害」を想定した備えをする
地震・火災・水害が連続した福井の経験から、単一の災害だけを想定しない備えの大切さを学べる。

「不死鳥のまち」として立ち上がった福井市の姿は、どんな災害の後でも人は復興できるという希望を示しています。しかし同時に、その復興にかかった時間と犠牲の大きさを忘れてはなりません。

福井地震1948年の教訓を今に生かすために、今日という日を備えを見直すきっかけにしていただければ幸いです。大切な人を守るために、まずできることから始めていきましょう。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

参考情報について

本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。

本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。

福井地震が教えてくれた備え

福井地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

  • [ ] 自宅の耐震性(建築年・新耐震基準の適合)を確認している
  • [ ] 直下型地震に備えた家具転倒防止の対策をしている
  • [ ] 停電・通信途絶を想定した情報収集手段を持っている
  • [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
  • [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

福井地震の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。

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🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

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この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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