6月12日に起きた災害|宮城県沖地震1978から学ぶ防災カレンダー

6月12日に起きた災害|宮城県沖地震1978から学ぶ防災カレンダー
こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。
6月12日は、私にとってとても特別な日付です。
1978年のこの日、私は5歳でした。家族と車に乗って移動していた時、橋の手前で突然大きな揺れが来たんです。「止まれ」と声が上がり、車が止まった瞬間、目の前の橋が大きく揺れるのが見えました。橋がグラグラと波打つように揺れる光景を、小さな子どもながらにただじっと見ていた記憶は、今でも鮮明に残っています。あれが、宮城県沖地震1978との私の出会いでした。
6月12日は、過去にどのような災害が起きた日なのでしょうか。
この記事では、6月12日に発生した宮城県沖地震1978の記録を振り返り、そこから私たちが今日できる備えを防災士の視点で解説します。過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。

6月12日は何の日?宮城県沖地震1978の記録

1978年6月12日の発生状況と概要
1978年(昭和53年)6月12日17時14分、宮城県沖を震源とするM7.4の地震が発生しました。気象庁によって「1978年宮城県沖地震」と命名されたこの地震は、北米プレートと太平洋プレートが接する日本海溝の陸側で起きた海溝型地震です。震源の深さは約40kmでした。
最大震度は5(当時の震度階級による強震)で、仙台・大船渡・石巻・新庄、そして福島でも観測されました。北海道から中部地方にかけて広い範囲で揺れが感じられ、東京でも震度4を記録しています。
津波警報が発表され、北海道から東北の太平洋沿岸で津波が観測されましたが、最大で数十cm程度にとどまり、津波による被害の報告はありませんでした。(出典:気象庁『気象庁技術報告第95号 1978年宮城県沖地震調査報告』)
発生時刻が17時14分という夕方のラッシュ直前だったことが、その後の被害に大きく影響しました。帰宅途中の子どもや、外出中の人々が屋外にいた時間帯だったのです。
被害の全体像と震源の特徴
この地震による被害は、震度5という数字からは想像しにくいほど大きなものでした。東北全域での集計では、28名の方が犠牲になり、1,325名が負傷。家屋の全壊は1,183棟、半壊5,574棟、一部損壊は60,000戸以上に及びました。
| 被害項目 | 規模(東北全県) |
|---|---|
| 死者 | 28名 |
| 負傷者 | 1,325名 |
| 仙台市内の負傷者 | 10,000名超 |
| 全壊 | 1,183棟 |
| 半壊 | 5,574棟 |
| 一部損壊 | 60,000戸超 |
| 橋梁流出・損壊 | 98カ所 |
| 堤防決壊 | 12カ所 |
特に仙台市(当時の旧仙台市・旧泉市・旧宮城町・旧秋保町を含む)での被害が甚大で、住家の全半壊だけで4,385戸、一部損壊は86,010戸に達しました。被害総額は宮城県の年間予算に匹敵する規模だったとされています。
この地震は「人口50万人以上の大都市が初めて経験した都市型地震の典型」とも言われました。仙台市は当時人口約65万人。大都市が地震でどうなるかを、日本が初めてリアルに突きつけられた出来事でした。
ブロック塀倒壊が招いた被害の拡大

この地震で特に注目されたのが、ブロック塀の倒壊による被害です。仙台市内で犠牲になった16名のうち、11名がブロック塀の倒壊に巻き込まれたことによるものでした。東北全体では、28名の犠牲者のうち18名がブロック塀倒壊を原因としているとされています。
当時のブロック塀の多くは、鉄筋が入っておらず、ブロック同士の接合も不十分な状態でした。生け垣や木製の塀に代わって急速に普及していたブロック塀でしたが、コストを削った手抜き施工のものも多く、揺れに対して極めて脆弱だったのです。
宮城県内でブロック塀倒壊によって犠牲になった10名のうち、5名は小学校1年生から3年生の児童でした。夕方の帰宅途中、通学路に面したブロック塀が崩れ落ちたのです。子どもの目線の高さは、まさにブロック塀が倒れてくる高さと重なります。
さらに、地震直後に屋外へ飛び出し、建物からのガラスや落下物によって負傷した人も多く見られました。「地震が来たら外に逃げる」という当時の行動が、かえって危険を招いた側面もありました。この経験は、「揺れが収まるまで屋内で身を守る」という現代の避難行動の基本へと繋がっていきます。
なお、仙台市のライフラインの復旧状況は以下のとおりです。
| ライフライン | 全面復旧まで |
|---|---|
| 電気 | 約2日 |
| 水道 | 約8日 |
| 都市ガス | 約27日 |
| 電話 | 2日間、安否確認電話が殺到し通信障害 |
ガスの復旧に約1カ月かかったことは、当時の市民生活に深刻な影響を与えました。初夏の時期でストーブを使っていなかったことが幸いして火災は8件にとどまりましたが、もし冬に同規模の地震が起きていれば、火災被害はまったく異なる規模になっていた可能性があります。
繰り返す宮城県沖地震の発生周期と歴史

宮城県沖地震は、一度きりの災害ではありません。同じ震源域で、歴史的に繰り返し発生してきた地震です。
地震調査研究推進本部の評価によると、1897年以降に確認されている「宮城県沖の陸寄りで繰り返し発生するプレート間地震」は4回を数え、その平均発生間隔は約38年とされています。
| 発生年 | 概要 |
|---|---|
| 1897年(明治30年) | M7.7、津波あり(死傷者なし) |
| 1930年代(1933〜1937年) | 複数の活動が1つの地震活動とみなされる |
| 1978年(昭和53年) | M7.4、死者28名・負傷者1,325名 |
| 2011年(平成23年) | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)と連動して発生 |
2011年の東日本大震災(M9.0)は、宮城県沖地震の震源域が、三陸沖・岩手県沖・茨城県沖など複数の震源域と連動して起きた巨大地震でした。地震調査研究推進本部も「想定される宮城県沖地震も同時に発生した」との見解を示しています。
そして今、次の宮城県沖地震についての評価が毎年更新されています。政府の地震調査委員会は2024年、M7.4前後の宮城県沖地震が30年以内に発生する確率を70〜90%と公表しました(前年の70〜80%から引き上げ)。「38年に一度程度の発生間隔のため、1年当たりの確率の上がり幅が大きくなる」とされています。
宮城県では6月12日を「県民防災の日」と定め、地震に備えた防災訓練が行われています。東北放送ラジオでは毎日17時14分に「1978年6月12日、宮城県沖地震が発生した時間」とアナウンスする防災番組が今も放送されています。過去を「記念日」にして忘れない取り組みは、私たちが学べる姿勢のひとつだと思います。
地震のたびに見直された耐震基準の歴史

宮城県沖地震1978が残した最大の遺産のひとつが、1981年の建築基準法改正による「新耐震基準」の誕生です。
それまでの「旧耐震基準」は、「震度5程度の地震で倒壊しなければよい」という考え方でした。しかし宮城県沖地震は、震度5でこれほどの被害が出ることを証明してしまいました。
この教訓を受けて、地震から3年後の1981年6月1日、新たな耐震基準が施行されます。
| 区分 | 基準 | 適用期間 |
|---|---|---|
| 旧耐震基準 | 震度5程度で倒壊しない | 〜1981年5月31日 |
| 新耐震基準 | 震度5強で軽微な損傷のみ 震度6強〜7でも倒壊しない | 1981年6月1日〜 |
| 2000年基準 | 木造住宅の接合部・耐力壁をさらに強化 | 2000年6月1日〜 |
ブロック塀の規制強化もこの改正で行われました。宮城県沖地震での犠牲の多くがブロック塀によるものだったことが、ブロック塀の構造基準(鉄筋挿入・高さ制限等)を法的に厳しくする直接のきっかけになっています。
その後も、1995年の阪神・淡路大震災を機に2000年基準が生まれ、日本の住宅の耐震性は段階的に強化されてきました。日本の建築基準法は、多くの方の犠牲と教訓の上に書き換えられてきた歴史でもあります。
自宅が「旧耐震基準」(1981年5月以前に建築確認)かどうかは、地震への備えを考える上で非常に重要なポイントです。確認方法や耐震診断については、お住まいの自治体の防災・建築担当窓口にご相談ください。
日本の地震と建築基準の歴史についてより詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。
→ 日本の大地震の歴史に学ぶ!過去の被害年表と未来への対策

宮城県沖地震1978の教訓と今日の備え

ブロック塀と家具転倒から身を守る対策
宮城県沖地震1978が私たちに突きつけた最大の教訓のひとつが、「屋外の危険」です。
揺れを感じると反射的に外へ出ようとしてしまいますが、地震直後の屋外には、倒壊するブロック塀、建物からの落下物、崩れてくる看板や外壁など、さまざまな危険が潜んでいます。まず揺れが収まるまでは屋内で身を守り、揺れが収まってから安全を確認しながら外に出ることが基本です。
屋外を歩くときの地震直後の行動
揺れを感じたら→その場でしゃがみ、かばん等で頭を守る。ブロック塀・建物の壁・自動販売機から離れる。揺れが収まったら、落下物に注意しながら広い場所へ移動する。
屋内での備えとしては、家具の転倒防止が最重要です。東京消防庁の調査では、近年の大地震での負傷の3〜5割が家具類の転倒・落下・移動によるものとされています。タンス・食器棚・本棚・テレビなどを、突っ張り棒やL字金具で固定しておくことで、けがのリスクを大幅に下げることができます。
また、ガラスの飛散防止フィルムを窓に貼っておくことも有効です。宮城県沖地震では、屋外に飛び出してガラス破片で負傷した人が多数出ました。ガラス飛散を防ぐだけで、室内の安全性はかなり高まります。
停電・断水への備えを今すぐ確認する

宮城県沖地震1978では、ガスの復旧に約1カ月かかりました。電気2日・水道8日・ガス27日。この数字は、「ライフラインが止まった都市で人々がどう生きるか」を問いかけています。
停電が起きると、信号機が消えます。1978年の仙台では、停電による信号全滅と夕方のラッシュが重なり、道路が深夜まで麻痺しました。スマートフォンの充電もできなくなります。現代は1978年よりもはるかに電気への依存度が高いぶん、停電の影響は当時よりも大きくなっています。
ライフライン停止への最低限の備え
・飲料水:1人1日3リットル×3日分以上を備蓄
・食料:常温で食べられるもの3〜7日分
・モバイルバッテリー・ポータブル電源:スマホ充電・情報収集用
・カセットコンロ+ガスボンベ:ガス停止時の調理用
・携帯トイレ:断水時のトイレ対策(最低3日分)
特に断水時のトイレ問題は見落とされがちです。普通のトイレは水がないと流せません。携帯トイレは1人あたり1日5回として3日分=15回分を目安に準備しておくと安心です。
停電・断水への備えについては、こちらの記事でより詳しく解説しています。
→ 【2026年版】地震に備えるものリスト完全版
発生確率と次の宮城県沖地震への備え
政府の地震調査委員会が2024年に公表した評価では、M7.4前後の宮城県沖地震が今後30年以内に発生する確率は70〜90%とされています。これは日本の主要な活断層・海溝型地震の中でもかなり高い水準です。
ただし「発生確率が高い=近い将来必ず起きる」ではありません。地震はいつ起きるか正確には予測できません。「起きるかもしれない」ではなく「起きたときにどう行動するか」を今から準備しておくことが大切です。
2011年の東日本大震災は、宮城県沖地震の震源域が複数の震源域と連動した巨大地震でした。単独のM7.4クラスだけでなく、連動型の大地震のリスクも東北地方では意識しておく必要があります。最新の評価は地震調査研究推進本部(jishin.go.jp)で確認できます。
宮城・東北だけでなく、福島県も宮城県沖地震の強い揺れを受ける地域です。1978年の地震でも福島で震度5を観測しました。東北に縁のある方、福島・宮城・岩手にご家族がいる方は、ぜひこの機会に備えを確認してください。
家族と決めておく避難ルールのポイント
宮城県沖地震1978では、地震発生が夕方の帰宅ラッシュ前だったため、家族がバラバラな状況で被災した家庭が多くありました。停電で信号が消え、電話も繋がりにくくなった状況で、家族の安否を確認することの難しさが浮き彫りになりました。
現代でも、大地震時は携帯電話の回線が輻輳して繋がりにくくなります。事前に「家族の集合場所」と「連絡方法」を決めておくことが、いざというときの不安を大きく減らします。
家族で決めておくべき3つのこと
①第一避難場所:自宅近くの広い公園や避難所
②第二避難場所:少し遠いが安全な場所(津波・浸水リスクがない高台など)
③連絡方法:NTTの「災害用伝言ダイヤル(171)」の使い方を練習しておく
子どもが学校にいる時間帯に地震が起きた場合、どこで引き渡しを受けるか、学校の方針を確認しておくことも重要です。1978年の地震でブロック塀の犠牲になった子どもたちは、帰宅途中でした。子どもの通学路にブロック塀がないか、一度一緒に歩いて確認してみてください。
地域のハザードマップで自宅周辺のリスクも確認しておきましょう。宮城県沖地震の被害が大きかった地域の多くは、1960年代に造成された新興住宅地や、水田を埋め立てた液状化リスクの高いエリアでした。地盤の弱い場所ほど、同じ揺れでも被害が大きくなります。
震度と地震対策についての基礎知識は、こちらの記事も参考にしてください。
→ 地震の震度と感じ方の違いは?マグニチュードとの関係も解説
今日の防災チェックリスト

6月12日は宮城県の「県民防災の日」です。今日という日を、防災を見直すきっかけにしてください。以下のチェックリストで、あなたの備えを確認してみましょう。
- 自宅の建築確認日が1981年6月以降かどうかを確認した
- タンス・食器棚・本棚など大型家具を壁や床に固定している
- 窓ガラスに飛散防止フィルムを貼っている
- 飲料水を1人3リットル×3日分以上備蓄している
- カセットコンロとガスボンベを備えている
- 携帯トイレを家族分(1人15回分以上)用意している
- モバイルバッテリーを常に充電した状態で保管している
- 家族の集合場所と連絡方法を全員で共有している
- 子どもの通学路のブロック塀の状況を確認した
- ハザードマップで自宅周辺の液状化・震度リスクを確認した
- 防災リュックの中身と賞味期限を確認した
全部チェックできた方は、今日の備えは十分です。チェックできていない項目があった方は、ひとつずつ見直していきましょう。防災は「全部一度に完璧に」でなくていいんです。今日ひとつ、明日もうひとつ、その積み重ねが命を守ります。
まとめ|宮城県沖地震1978が教えてくれた備え

6月12日は、宮城県沖地震1978が発生した日です。1978年のこの日、東北地方は震度5の揺れに見舞われ、28名の方が犠牲になりました。ブロック塀の倒壊、液状化、ライフラインの長期停止——この地震が「都市型地震の典型」として記録されたのは、現代の私たちへの警告でもあります。
あの日の教訓が、3年後の1981年に新耐震基準を生み出しました。その基準が今も多くの命を守り続けています。過去の犠牲は、決して無駄ではなかった。
私が5歳のとき、橋の前で車を止めて揺れを見ていたあの記憶が、今の防災活動の原点のひとつになっています。「あのとき備えていたら」という後悔をしてほしくないから、私はこうして防災の話を続けています。
福島で東日本大震災を経験した防災士として、過去の教訓は未来の命につながると心から信じています。大切な人を守るために、今日できることから始めてください。
過去の災害を振り返ると、発災直後の数時間から数日をどう乗り切るかが非常に重要です。ライフラインが止まった中でも安心できる備えを、防災リュックや家庭用備蓄から見直してみてください。
宮城県沖地震1978が教えてくれた備え
宮城県沖地震1978から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。
あなたの備えを今すぐ確認してください。
あなたの防災度チェック
- [ ] ブロック塀の危険性を知り、通学路・通勤路を確認している
- [ ] 家具を固定し、屋内の転倒防止対策をしている
- [ ] ガス停止を想定したカセットコンロと水・食料を備蓄している
- [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
- [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している
宮城県沖地震1978の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。
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参考情報について
本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。
本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。
数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。
🛡️ 防災士監修記事
後藤 秀和(ごとう ひでかず)
防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役
2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。




