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5月24日に起きた災害|チリ地震津波が日本を襲った日と防災の教訓

5月24日のチリ地震津波を振り返る防災カレンダーのイラスト

5月24日に起きた災害|チリ地震津波が日本を襲った日と防災の教訓【防災士解説】

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

5月24日は、日本の津波防災の歴史が大きく変わった日です。

1960年のこの日の未明、日本の太平洋沿岸を突然、大きな津波が襲いました。しかも、その津波は日本の近くで起きた地震によるものではありませんでした。地球の反対側、南米チリで発生したMw9.5という人類の観測史上最大規模の地震が引き起こした津波が、およそ1万7千kmという距離を約22〜23時間かけて横断し、日本列島に到達したのです。

この記事では、1960年5月24日に日本を襲ったチリ地震津波の記録を振り返り、そこから私たちが今日できる備えを防災士の視点で解説します。

過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。

目次

5月24日・チリ地震津波が日本に届いた日

チリ地震津波が太平洋を横断して日本に到達する仕組みの模式図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1960年チリ地震津波の日本到達

1960年昭和時代の三陸沿岸の漁村を表すアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1960年(昭和35年)5月23日の午前4時11分頃(日本時間)、南米チリのバルディビア近海でモーメントマグニチュード(Mw)9.5という、近代地震学の計器観測史上で世界最大規模の地震が発生しました。

この地震でチリ沿岸にはまず巨大な津波が押し寄せ、チリ国内で1,700人以上の方が犠牲になったとされています。そして地震から約15〜17時間後にはハワイ諸島に到達し、ヒロ市などで61人の方が犠牲になりました。

さらにその約6〜7時間後の5月24日未明——伊豆大島に最初の到達が観測されたのは午前2時33分頃のことでした。その後、三陸沿岸、北海道、そして鹿児島県枕崎まで、太平洋沿岸のほぼ全域に津波が押し寄せました。

チリ地震津波 日本到達の基本データ
・地震発生:1960年5月23日 午前4時11分頃(日本時間)
・震源:チリ・バルディビア近海
・規模:Mw9.5(観測史上世界最大)
・日本への到達:5月24日未明(地震から約22〜23時間後)
・移動距離:約1万7千km
・移動速度:平均時速約750km

これほどの距離を高速で移動してきた津波が日本に届いたこと自体、当時の人々にとっては「想定外」の出来事でした。そして、この「想定外」こそが、被害拡大の根本的な要因の一つになったと、後の調査で指摘されています。

津波が太平洋を越えて届いた仕組み

海底地震による津波発生のメカニズムを示す断面図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

「なぜ1万7千kmも離れたチリの地震が、日本に津波をもたらすのか」——これは、チリ地震津波に関する検索で最も多い疑問の一つです。

津波は、地震によって海底が大規模に隆起・沈降することで発生します。海底が一気に動くと、その上にある海水全体が押し上げられたり引き下げられたりして、巨大なエネルギーの波が四方八方に広がっていきます。これが津波の正体です。

重要なのは、この波は深海を移動するとき、ジェット機並みの速度(時速500〜800km)で進むという点です。深海は水の抵抗が少なく、波のエネルギーが散逸しにくいため、遠くまで届きます。チリ地震は断層の長さが約800〜1,000kmにも及ぶ超巨大地震だったため、発生した津波のエネルギーも桁外れに大きく、太平洋を横断しても莫大なエネルギーが残っていたのです。

日本への津波が特に大きくなった理由
日本はチリから見て「地球の真裏近く」に位置しています。チリから発生した津波は太平洋を放射状に広がりますが、ハワイ諸島付近の海底地形のレンズ効果もあり、エネルギーが日本方向に集中する「収れん現象」が起きます。太平洋の対極に位置することが、かえって日本への津波を増幅させた一因とされています(出典:内閣府防災『1960チリ地震津波 災害教訓継承報告書』)。

また、この津波の波の周期は約40〜50分という非常に長いものでした。通常の海の波が数秒〜数十秒の周期であることと比べると、その違いが分かります。周期が長い津波は、エネルギーが広い範囲に分散されるため、到達時に「静かに潮が上下する」ように見えることがあります。しかしそれが逆に「大したことない」という誤った安心感につながり、逃げ遅れた方が出た背景の一つとも指摘されています。

チリ地震津波が日本にもたらした被害

リアス式海岸の湾奥で津波が増幅する様子を示すアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波による日本の被害は、北海道から沖縄に至る太平洋岸のほぼ全域に及びました。公的資料をもとにした被害状況は以下の通りです(資料によって数値に若干の差異があります)。

項目規模
死者・行方不明者約139〜142人
住家の流失・全壊約2,830棟
住家半壊約2,183棟
住家浸水約37,195棟
最大津波高(三陸)標高8m超・最大約6.1m
被害が大きかった地域北海道・青森・岩手・宮城・三重・和歌山・高知・鹿児島・沖縄

特に犠牲者が多かったのは、岩手県大船渡市(53人)、宮城県志津川町(現・南三陸町、37〜41人※資料により差異あり)、北海道浜中町霧多布地区(11人)でした。

北海道・青森・岩手・宮城・三重の5道県だけでも、当時の金額で358億円もの被害が生じたとされています。前年の伊勢湾台風(被害額1,365億円)に引き続く大災害として、昭和35年は日本の防災史に深く刻まれた年となりました。

また、青森県八戸市では、津波の引き波を「干潮」と思い込んで海岸に出た方が、次の押し波に流されて犠牲になったという記録も残っています。「揺れがなかったから大丈夫」「引き波だから安全」という思い込みが、いかに危険かを示す事例です。

ハワイや太平洋各地への影響

チリ地震津波が太平洋全域に広がった様子を示す地図風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波は日本だけでなく、太平洋全域に甚大な被害をもたらしました。

ハワイ・ヒロ市には地震から約15〜17時間後に津波が到達し、61人の方が犠牲になりました。ハワイでは事前に津波警報が発令されていたものの、過去の経験から「たいしたことない」と判断して浜辺に残った方や、引き波で座礁した船を見に浜に近づいた方が被害に遭ったとされています。

ニュージーランドでも津波被害が記録されており、先住民系の住民が「不自然な引き潮は危険」と判断して浜に近寄らず助かった一方、ヨーロッパ系の住民が座礁した船を見に行って被害に遭ったという事例が伝わっています。「過去の経験に基づく直感」が命を救うことがある、という教訓が残った出来事でもありました。

「揺れがない」は「安全」ではない
チリ地震津波の最大の教訓の一つは、遠地で起きた津波は揺れを伴わないという点です。体に揺れを感じなくても、海外の大地震のニュースが入ったとき、また気象庁から「遠地地震に関する情報」が発表されたときは、海岸に近い方は速やかに情報を確認し、必要に応じて避難を開始することが重要です。

5月24日の教訓が日本のチリ地震津波対策を変えた

家族で津波避難ルートを確認している防災準備のアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

津波の高さは何メートルだったのか

津波の高さと建物の高さを比較した模式図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波による日本沿岸での津波の高さは、地点によって大きく異なります。一般的な太平洋沿岸では2〜4メートルとされていますが、三陸のリアス式海岸では遡上高(津波が陸上を駆け上がった高さ)が8メートルを超える地点もありました。最大の観測値は約6.1メートルとされています(資料により若干差異があります)。

「たった6メートル?東日本大震災はもっと高かったのでは」と感じる方もいるかもしれません。しかし、この津波でなぜ100人を超える方が犠牲になったかというと、津波の高さよりも「警報なしの完全な不意打ちだった」という点が大きな要因の一つとして挙げられています。

揺れを感じず、警報もなく、深夜未明に静かに押し寄せてくる津波——それが1960年5月24日に起きたことでした。

津波到達まで何時間かかったのか

チリから日本まで22時間で到達した津波の時間経過を示すイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震が発生してから日本に津波が到達するまでの時間は、約22〜23時間でした。この「約22〜23時間」という時間は、今日の津波防災を考えるうえでとても重要な数字です。

なぜなら、この時間があれば、理論的には十分に避難できるからです。にもかかわらず、1960年当時に100人以上の方が犠牲になった理由は、主に以下の点が複合的に重なったと考えられています。

  • 当時の津波予報体制が「近地津波(600km以内)」のみを対象としていた
  • 遠地津波に対する国際的な情報共有の仕組みがなかった
  • 「揺れのない津波は来ない」という誤った認識が広まっていた
  • 津波到達後も警報が出されていなかった

仙台管区気象台が津波予報を発表したのは午前4時59分——それはすでに三陸沿岸に津波が到達した後のことでした。「警報が間に合った地域は皆無」というのが、この日の実態だったのです。

三陸沿岸に被害が集中したメカニズム

リアス式海岸で津波が湾奥に向かって増幅するメカニズムの断面図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波の日本国内の被害を見ると、特に三陸リアス式海岸での被害が突出していたことが分かります。これには、地形的な理由があります。

リアス式海岸は、複雑に入り組んだ湾が多数連なる地形です。外海から押し寄せた津波は、湾の入り口では比較的低くても、湾の奥に向かうにつれて波が「絞られて」高くなっていきます。これを「津波の増幅」と呼びます。

さらにチリ地震津波には、周期が約40〜50分という特徴がありました。大船渡湾では、この長周期の波と湾の固有振動数が一致して「共振」が起きたことで、波がさらに増幅されたとされています。これが大船渡市の被害が特に大きくなった一因です。

近地津波と遠地津波の違い
近地津波(近くで発生した地震による津波)は、直立した大波が押し寄せる形が多いです。一方、チリ地震津波のような遠地津波は、潮が静かに上下するゆっくりとした形が多く、「大したことない」と誤解されやすい性質があります。ところが陸上に入り込むと急激に流速が増し、建物を飲み込む力を持ちます。見た目に惑わされないことが重要です。

また、過去の三陸津波(明治29年、昭和8年)で被害が大きかった吉浜・田老・綾里などの地域が、チリ地震津波では比較的被害が少なかった一方で、それまであまり被害がなかった湾奥の地域が今回は大きく被災しました。「過去に被害がなかった場所だから安全」とは言えない、という教訓もこの災害は残しています。

この教訓が生んだ津波警報システム

津波警報の国際連携システムをイメージしたアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波は、日本と世界の津波防災体制を根本から変えるきっかけになりました。

当時、日本の津波予報は1952年に法制化されていましたが、その対象は「日本沿岸から600km以内で発生した近地地震による津波」のみでした。地球の反対側からやってくる遠地津波は、完全に想定外だったのです。

この教訓を受けて、日本と世界は以下のような体制整備を進めました。

主な変化
1960年気象庁が遠地津波に対する津波予報を新設。太平洋津波システムへの参加開始
1964年UNESCO/IOCが太平洋津波警報組織の創設を決議
1965年ITIC(国際津波情報センター)がアメリカ・ハワイのホノルルに設立
現在海外でM7.0超の地震が発生した際、気象庁が30分以内に「遠地地震に関する情報」を発表

現在では、チリやインドネシア、アラスカなどで大きな地震が起きると、気象庁が30分以内に日本への津波の有無を発表する体制が整っています。1960年に「22時間かけて到達したのに間に合わなかった警報」は、今では数十分以内に発令できるようになったのです。これはチリ地震津波が残した、命がけの教訓の上に築かれた体制です。

遠地津波対応については、後発地震注意情報の解説記事でも、海外の地震と日本への影響についてまとめていますので、あわせてご覧ください。

よくある誤解:震度と津波の大きさは関係ない

揺れがなくても津波が来ることへの注意を示すアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

チリ地震津波が明確に示したことの一つが、「体に感じる揺れの大きさ(震度)と、津波の大きさは必ずしも一致しない」という事実です。

1960年5月24日、日本の沿岸部の方々が体に感じた揺れは、ほぼゼロでした。チリは1万7千km離れていますから、地震の揺れはほとんど伝わりません。それにもかかわらず、三陸沿岸には遡上高8メートルを超える津波が到達したのです。

これは遠地津波特有の恐ろしさです。一方で、近地津波の場合は逆に「揺れが小さかったから津波も小さいだろう」という誤解が生じることがあります。実際には、震源の深さや断層の動き方によって、揺れが小さくても大きな津波が発生することがあります。

津波から身を守るための基本ルール
・海外でM7以上の地震発生ニュースが入ったら、気象庁の情報を確認する
・揺れが弱くても長く続いた場合、沿岸にいる方はすぐに高台へ移動する
・気象庁から「遠地地震に関する情報」が発表されたら、津波の有無を確認する
・津波の「引き波」を見に行くのは絶対にしない
・一度津波が来た後も、何十分もかけて複数の波が来ることがある

津波避難の具体的な行動については、地震発生時に取るべき行動の記事でも詳しく解説しています。沿岸にお住まいの方はぜひあわせてご確認ください。

まとめ:チリ地震津波と日本の備えを今日から見直す

5月24日を防災見直しの日として家族で備えを確認するアニメ風イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1960年5月24日のチリ地震津波は、「津波は近くの地震だけから来るわけではない」「揺れがなくても津波は来る」という、それまでの常識を根本から覆した災害でした。

この災害が残した教訓は、60年以上が経った今も色あせていません。むしろ、日本が将来直面するとされている南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝沿いの地震、そして海外の巨大地震が引き起こす遠地津波など、津波のリスクは今も私たちの身近にあります。

福島で東日本大震災を経験した防災士として、私が今伝えたいのは「過去の教訓は必ずまた役に立つ」ということです。2011年の東日本大震災でも、チリ地震津波の教訓から設計された宮城県石巻市の石ノ森萬画館(1階天井高8メートルで設計)が、津波でも収蔵物や避難者に被害が出なかったという記録が残っています。知識と備えは、確かに命を守ります。

今日5月24日を、ご自身と家族の津波対策を見直すきっかけにしていただければと思います。

今日見直したい防災チェックリスト
・[ ] 自宅・職場のハザードマップで津波浸水エリアを確認している
・[ ] 避難場所・避難ルートを家族と共有している
・[ ] 気象庁の津波情報の確認方法を知っている
・[ ] 「揺れがない津波もある」ことを家族に伝えている
・[ ] 非常用持ち出し袋がすぐ持ち出せる場所にある
・[ ] 「津波てんでんこ」の意味と、家族それぞれの避難ルールを決めている

「津波てんでんこ」の意味や家族との防災ルールの決め方については、津波てんでんこの意味と家族防災ルールの記事で詳しく解説しています。ぜひ今日、家族と一緒に読んでみてください。

チリ地震津波が教えてくれた備えを今日から始めよう

チリ地震津波から学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。

あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

  • [ ] 揺れがなくても遠地津波が来ることを知っている
  • [ ] 気象庁の「遠地地震に関する情報」を確認する習慣がある
  • [ ] 津波の引き波に近づかないことを家族全員が知っている
  • [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
  • [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

チリ地震津波の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。

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参考情報について

本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。

本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得し、防災ブランド HIH(エイチアイエイチ/Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

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この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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