5月26日に起きた災害|日本海中部地震の津波と遠足被害から学ぶ防災カレンダー

5月26日に起きた災害|日本海中部地震の津波と遠足被害から学ぶ防災カレンダー
こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。
5月26日は、1983年(昭和58年)に日本海中部地震が発生した日です。
この地震では、秋田県や青森県の沿岸を中心に大津波が押し寄せ、104人の方が犠牲になりました。そのうち100人が津波による犠牲者でした。なかでも多くの人の心を揺さぶったのが、遠足に来ていた小学生13人が津波に巻き込まれたという出来事です。
この記事では、5月26日に起きた日本海中部地震の記録を振り返り、そこから私たちが今日できる備えを防災士の視点で解説します。過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ悲しみを繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。

5月26日・日本海中部地震の記録

1983年5月26日に何が起きたのか

1983年(昭和58年)5月26日、午前11時59分。秋田県能代市の西方沖、約80〜100kmの海底を震源とするマグニチュード7.7の大地震が発生しました。気象庁はこの地震を「昭和58年(1983年)日本海中部地震」と命名しています。
日本海側では当時最大級の規模で、秋田・深浦・むつで震度5を観測したほか、北海道から中国地方にかけての広い範囲で揺れが感じられました。
この地震は、日本海東縁変動帯と呼ばれるユーラシアプレートと北米プレートの境界付近で発生した逆断層型の地震です。後年の詳細な調査により、プレート境界型に近い地震発生様式である可能性が高いことが明らかになっています。
地震が起きたのは5月の晴れた昼前でした。気候のよい日だったこともあり、海岸には多くの人が出ていました。そのことが、のちに悲劇につながることになります。
地震の規模と津波の高さ

この地震による津波は、北海道から九州にかけての日本海沿岸の広い範囲に押し寄せました。気象庁の現地調査によると、津波の高さは以下のとおりとされています。
| 地域 | 津波の高さ(気象庁調査) |
|---|---|
| 青森県〜男鹿半島 | 5〜6m |
| 秋田県八竜町(現・三種町) | 6.6m(最大) |
| 北海道奥尻島 | 3〜4m |
| 佐渡・能登半島・隠岐 | 2〜3m |
また、東北大学工学部の調査では、秋田県峰浜村(現・八峰町)で遡上高14mに達したことが報告されています。津波は日本海を西へと進み、朝鮮半島の東海岸やシベリア沿岸にまで到達したとされています。
被害の全体像は、死者104人、負傷者324人、建物の全壊・流出1,584棟、半壊3,515棟、船舶被害2,598隻という甚大なものでした(1983年11月1日現在・非常災害対策本部調べ)。
遠足中の小学生を襲った津波

この地震の中で、多くの人の心に深く刻まれているのが、男鹿市の加茂青砂海岸での出来事です。
当日、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)立合川南小学校の4・5年生45人と引率の教員2人が、マイクロバス2台に分乗して加茂青砂海岸へ遠足に来ていました。内陸部の学校の子どもたちにとって、海辺への遠足は楽しみなイベントだったはずです。
地震が起きたとき、一行はバスの中で強い揺れを感じました。しかし、揺れが収まってから海岸に降り、お弁当を広げようとしたそのときに、大津波が押し寄せてきたのです。
地元の人々が船を出して懸命に救出にあたり、多くの子どもたちが助かりましたが、児童13人(4年生8人・5年生5人)が犠牲になりました。
「地震が起きたら、海岸にいるときは即座に高台へ逃げる」という知識が、当時は引率者も含めてほとんど共有されていませんでした。この出来事が、日本の津波避難教育の在り方を根本から問い直すきっかけになりました。
事故の知らせは全国に大きな衝撃を与え、日本国外にも広く伝わりました。合川南小学校には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世をはじめ、世界中からメッセージが届いたとされています。現在、加茂青砂海岸には「合川南小学校児童地震津波殉難の碑」が建立されており、毎年5月26日には慰霊祭が行われています。
秋田・青森・北海道の被害状況

津波による被害は秋田県が最も大きく、犠牲者104人のうち79人が秋田県、17人が青森県、4人が北海道の方でした。
秋田県能代港では、火力発電所建設のための埋め立て工事現場が津波に飲み込まれ、作業員の方々が多数犠牲になりました。また、晴天の昼前だったため海岸で釣りをしていた方々も多く、津波に巻き込まれる被害が相次ぎました。
内陸部では液状化現象が各地で発生し、秋田市・能代市などで建物や道路が被災しました。砂地盤の地域を中心に、住宅の倒壊や傾きが続出し、ガス・水道施設にも甚大な被害が出たため、市民生活は長期にわたって影響を受けることになりました。
日本海対岸の朝鮮半島やソビエト連邦(当時)にも、死者を含む津波被害があったと伝えられています。
地震・津波の被害について詳しくは、日本の大地震の歴史に学ぶ!過去の被害年表と未来への対策もあわせてご覧ください。

津波が海岸に届くまでの速さ

日本海中部地震の津波が特に恐ろしかった理由の一つは、その到達の早さです。
地震発生は11時59分。津波の第1波が青森県深浦に到達したのはわずか7〜8分後の12時07〜08分のことでした。一方、気象庁(仙台管区気象台)が大津波警報を発表したのは地震から15分後の12時14分です。
つまり、警報が出た時点で、すでに沿岸には津波の第1波が到達していたのです。「警報を聞いてから逃げる」では間に合わない状況でした。
これは、日本海側の津波の大きな特徴です。太平洋側の場合、震源が日本海溝や南海トラフのように陸から離れているため、津波が到達するまである程度の時間があります。しかし日本海側では、震源が陸地に近いため、地震発生からほぼ同時に津波が押し寄せてくる可能性があるのです。
津波と船の動きの関係については、津波で船が沖に逃げるのはなぜ?理由と危険性を防災士が解説でも詳しく解説しています。

日本海中部地震の教訓と今日の備え

日本海側に津波が来ないは誤解だった

この地震の被害が大きくなった背景のひとつに、「日本海側には津波は来ない」という俗説が広く信じられていたことがあります。
実はこれ、大きな誤解です。日本海でも過去に大きな津波が起きています。ただ、前回日本海沿岸で大きな津波被害が出たのは1833年(天保4年)の庄内沖地震とされており、実に150年のあいだ、大きな津波被害が起きていなかったのです。世代を重ねるうちに記憶が失われ、「日本海は安全」という誤った認識が定着してしまいました。
男鹿半島では当時、「地震が起きたら浜へ逃げろ」という言い伝えまであったといいます。これは過去に地震後の火災を避けるために海岸へ逃げた経験から生まれた言い伝えでしたが、津波の観点からは逆効果となってしまいました。
「自分の地域は大丈夫」という思い込みが、いちばん危険です。日本海側・太平洋側を問わず、沿岸にいるときに強い揺れを感じたら、すぐに高台へ避難することが鉄則です。
(出典:気象庁仙台管区気象台『昭和58年(1983年)日本海中部地震』)
地震の揺れが小さくても津波は来る

日本海中部地震のもう一つの重要な教訓は、「揺れの大きさと津波の危険性は必ずしも比例しない」ということです。
内陸部の合川南小学校の子どもたちがバスで揺れを感じたとき、揺れはすでに収まりつつありました。海岸から離れた場所から来た彼らにとって、その揺れは「大地震」とは感じにくいものだったかもしれません。
しかし、震源が海底であれば、揺れが小さく感じられても大きな津波が発生している可能性があります。特に日本海側では、震源が陸地に近いため、揺れを感じてから津波が来るまでの時間が極めて短くなります。
「少し揺れただけだから大丈夫」は禁物です。海岸や河口付近にいるとき、少しでも揺れを感じたら、津波警報の発表を待たずに高台へ逃げることが命を守ります。
地震の仕組みについてもっと知りたい方は、地震の仕組みを小学生向けにわかりやすく解説!安全に備えようもご覧ください。
この地震が変えた津波避難教育

日本海中部地震は、日本の防災の在り方を大きく変えた地震でもあります。
まず、津波警報の迅速化が進みました。当時、気象庁が大津波警報を発表したのは地震から15分後でしたが、この地震をきっかけに体制が見直され、現在は地震発生から3分を目途に津波警報を発表できる体制が整えられています。
また、防災教育の見直しも大きく進みました。この地震をきっかけに、かつて小学校の国語の教科書に掲載されていた防災教材「稲むらの火」を復活させようという声が上がり、津波の恐ろしさを伝える教育の重要性が改めて認識されました。
さらに、5月26日は秋田県の「県民防災の日」に制定され、毎年防災訓練が行われるようになりました。一つの地震が、制度・教育・訓練のすべてを変えていったのです。
「稲むらの火」は、1854年の安政南海地震の際に地震直後の異変を察知して村人を高台に誘導した人物の話をもとにした教材です。「地震が来たら津波が来る」という知識の大切さを伝えるこの教材は、日本海中部地震をきっかけに防災教育での重要性が再認識されました。
海岸にいるときの津波避難行動

日本海中部地震の教訓を、今日の具体的な行動に落とし込んでみましょう。海岸や川の近くにいるときに地震が起きたら、どうすればよいか。
基本は「揺れを感じたら、すぐに高台へ。警報を待たない。」です。
日本海中部地震では、地震発生から7〜8分で第1波が到達しました。津波警報が出るまで待っていたら間に合いません。特に次のような状況では、すぐに行動に移してください。
- 海岸・川の河口付近・港などで揺れを感じた
- 地震の後、海の様子がおかしい(潮が急に引く、海面が盛り上がるなど)
- 揺れが弱くても、長くゆっくりした揺れが続く
- スマートフォンや防災無線で津波注意報・警報が出た
避難先は「少しでも高い場所」「海から少しでも遠い場所」です。周りの状況を見て、できる限り速く、できる限り高い場所へ移動してください。車での避難は、渋滞が起きると危険な場合があります。歩いて逃げられる場合は、歩いて逃げることを優先してください。
5月26日に見直したい防災チェックリスト

日本海中部地震の教訓を踏まえ、今日できることを確認しましょう。
- 自宅・職場・よく行く場所のハザードマップを確認している
- 津波警報が出たときの避難場所・避難経路を家族と共有している
- 海岸や川の近くへ出かけるときは揺れを感じたらすぐ逃げると決めている
- スマートフォンの緊急速報(エリアメール)の受信設定がオンになっている
- 発災直後の数日間をしのぐ水・食料・携帯トイレが手元にある
- 防災リュックが玄関のすぐ取れる場所に置いてある
- 家族全員の緊急連絡先と集合場所を確認している
チェックリストを見て「できていないことがある」と気づいた方は、今日が見直すタイミングです。備えは「いつかやろう」ではなく、「今日やる」ことが大切です。
まとめ:日本海中部地震が教えてくれた備え

1983年5月26日の日本海中部地震は、「日本海には津波は来ない」という思い込みを打ち砕き、揺れを感じたらすぐに逃げることの大切さを日本全体に伝えた地震でした。
遠足に来ていた小学生たちの悲しい出来事は、今も慰霊碑として加茂青砂海岸に刻まれています。あの日の教訓が、日本の津波警報の仕組みを変え、防災教育を変えていきました。
福島で東日本大震災を経験した防災士として、この日本海中部地震の教訓は他人事ではありません。どの地域に住んでいても、「自分の地域には来ない」という思い込みが、最も危険な備えの盲点になりえます。
5月26日という日付が、あなたと大切な家族の防災を見直すきっかけになれば、それがこの記事を書いた一番の目的です。
過去の災害を知ることは、未来の命を守ることにつながります。今日できる一つの行動から、始めてみてください。
数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。
参考情報について
本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。
本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。
日本海中部地震が教えてくれた備え
日本海中部地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。あなたの備えを今すぐ確認してください。
あなたの防災度チェック
- [ ] 海岸にいるとき揺れを感じたら、警報を待たずに即座に高台へ逃げると決めている
- [ ] 「日本海には津波は来ない」など、地域の思い込みを家族と話し合っている
- [ ] ハザードマップで自宅・職場・よく行く場所の津波リスクを確認している
- [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
- [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している
日本海中部地震の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。
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🛡️ 防災士監修記事
後藤 秀和(ごとう ひでかず)
防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役
2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。




