5月16日に起きた災害|十勝沖地震から学ぶ防災カレンダー

5月16日に起きた災害|十勝沖地震から学ぶ防災カレンダー
こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。
5月16日は、過去にどのような災害が起きた日なのでしょうか。
この記事では、1968年(昭和43年)5月16日に発生した十勝沖地震を振り返り、その教訓が今の私たちの暮らしにどうつながっているかを、防災士の視点で解説します。
過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今日の備えを見直すきっかけにするためです。福島で東日本大震災を経験した私にとって、「過去の地震から学ぶ」という行為は、単なる勉強ではなく、あの日への誓いでもあります。
5月16日は何の日?十勝沖地震が起きた日
1968年5月16日に何が起きたのか

1968年(昭和43年)5月16日の午前9時49分ごろ、青森県東方沖を震源とするマグニチュード7.9の大地震が発生しました。気象庁は、この地震を「1968年十勝沖地震」と命名しました。
なお、名称について少し補足があります。速報値の計算の際に震央が実際より約50km北にずれて算出されたため、「十勝沖」として発表・命名されましたが、実際の震源域は三陸沖北部(青森県東方沖)にあたります。現在でも気象庁の正式名称は「1968年十勝沖地震」ですので、この記事でもその名称を使用します。
地震の発生は千島海溝と日本海溝の境界付近。太平洋プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む、典型的な海溝型地震でした。日本の太平洋沿岸では、このタイプの地震が繰り返し発生してきた歴史があります。
十勝沖地震の規模と震度の概要

この地震の規模や揺れの広がりは次のとおりです(出典:内閣府防災情報ページ『22.1968年十勝沖地震』・気象庁資料)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発生日時 | 1968年5月16日 午前9時49分ごろ |
| 震源 | 青森県東方沖(千島海溝・日本海溝の境界付近) |
| マグニチュード | Mj7.9(気象庁) |
| 最大震度 | 震度5(北海道・青森・岩手の広い範囲) |
| 犠牲者 | 5道県全体で52名の方が犠牲になり(資料によって表記に差があります)、330名が負傷 |
| 建物被害 | 全壊673棟・半壊3,004棟(計3,677棟) |
震度5の揺れは北海道函館市・苫小牧市・浦河町・広尾町、青森市・八戸市・むつ市、岩手県盛岡市など広範囲で観測されました。また、震度4は北海道の大部分、青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島県にも及んでおり、日本の広い地域で揺れが感じられた地震です。
津波の発生と沿岸部への影響

この地震では、揺れだけでなく津波も大きな被害をもたらしました。地震発生から約20〜60分後、北海道および東北の太平洋沿岸に津波が来襲しています。
三陸沿岸では最大約5mに達する波高が観測され、えりも町でも約2.7mを記録しました(出典:内閣府防災情報ページ)。宮古の津波堤防では約4.98mが記録されています(宮古市災害資料アーカイブ)。
津波による被害は、建物浸水529棟、船舶の沈没・流出127隻に及びました。また八戸港では、津波によってタンカーが損傷し、燃料が港内に流出するという二次災害も起きています。「津波=浸水被害」だけではなく、二次的な火災や汚染リスクが生じることも、この地震が示した教訓の一つです。
ただ、被害がより大きくならなかった背景には二つの要因があったとされています。一つは干潮時だったこと。もう一つは、1960年のチリ地震津波の経験を受けて、三陸沿岸を中心に海岸堤防や護岸の整備が進んでいたことです。過去の災害の教訓が、直接的に次の被害を抑制した例といえます。
津波の仕組みや沖への避難行動については、こちらの記事もあわせてご覧ください。
👉 津波で船が沖に逃げるのはなぜ?理由と危険性を防災士が解説

北海道・東北の被害状況

揺れによる直接的な被害は、北海道から東北北部にかけて広く分布しました。
特に被害が集中したのは青森県です。死者・行方不明者48名のうち、33名が土砂災害によるものでした。前日まで3日間で100〜200mmという大雨が降り続いており、地盤が大きく緩んでいたことが主な要因とされています。実際、ある中学校では本震後の避難中に校舎裏の山崩れが発生し、生徒が巻き込まれるという痛ましい事故も起きました。
「地震の被害=建物倒壊・津波」だけではありません。地震前後の大雨が重なることで、土砂災害リスクが急激に高まることがあります。大雨の後や台風接近中に地震が発生した場合は、揺れの被害だけでなく、がけ崩れ・地すべりへの警戒も必要です。
北海道では、道東・道南を中心に被害が集中し、鵡川下流部や十勝川下流部の河川堤防に大きなダメージが生じました。また、本州と北海道を結ぶ海底通信ケーブルと無線区間が切断され、北海道が一時的に通信孤立状態に陥りました。情報が得られない状況での不安と混乱は、現代に置き換えても想像に難くありません。スマートフォンが普及した今でも、大規模地震での通信途絶は起こりうることです。
5月16日の十勝沖地震が変えた耐震基準

鉄筋コンクリート建物の被害とせん断破壊
1968年十勝沖地震が後世に残した最大の教訓は、「新しいはずの鉄筋コンクリート建物が次々と倒壊した」という事実です。
倒壊・圧壊した主な建物には、函館大学、三沢商業高等学校、八戸東高等学校、八戸工業高等専門学校、むつ市役所庁舎などが含まれています。これらはいずれも昭和30年代後半から建てられた比較的新しいRC(鉄筋コンクリート)造の公共建築物でした。
「なぜ新しいコンクリート建物が崩れたのか」——これは当時の技術者・研究者を驚かせた問いでした。
【防災理科】せん断破壊とは何か?
地震の揺れが建物を横方向に押すとき、柱には「せん断力」という斜め方向の力がかかります。この力に柱が耐えられなくなると、コンクリートが斜めに割れて一気に崩壊する——これを「せん断破壊」といいます。せん断破壊の怖さは、曲げて少しずつ変形するような「粘り強い壊れ方」ではなく、前触れなく急激に耐力を失う脆性的な破壊である点にあります。柱が一瞬で崩れれば、その上の階は支える場所を失い、建物全体が倒壊します。
当時の建築基準では、柱の主筋を束ねる「帯筋(おびきん)」の間隔が30cm以内とされていました。しかしこれでは間隔が粗すぎて、主筋を十分に拘束できなかったのです。また、腰壁(こしかべ)と組み合わさることで柱が短くなり(短柱化)、さらにせん断力に弱い状態になっていたことも、被害拡大の要因として指摘されています。
建築基準法改正への道のり

この地震の深刻な教訓を受け、日本の耐震基準は大きく見直されることになります。
1971年(昭和46年)、建築基準法施行令が改正され、日本建築学会の鉄筋コンクリート構造計算規準も改定されました。主な変更点は帯筋間隔の強化です。
| 項目 | 改正前(〜1971年) | 改正後(1971年〜) |
|---|---|---|
| 帯筋の間隔 | 30cm以内 | 15cm以内(柱頭・柱脚は10cm以内) |
| 目的 | ─ | 柱の靭性(粘り強さ)を高め、せん断破壊を防ぐ |
帯筋の間隔を密にすることで、主筋がしっかり拘束され、柱は「一気に崩れる脆性破壊」ではなく「粘り強く変形しながらエネルギーを吸収する」ようになります。
この1971年改正は、現在の耐震基準の原点の一つとなりました。その後、1978年宮城県沖地震の教訓も加わり、1981年には「新耐震基準」が導入されています。耐震基準は一度で完成したものではなく、実際の大地震の被害から学び続けることで、段階的に改善されてきたのです。
建築物の耐震性は、建設された時期によって異なります。1971年以前の旧基準で建てられたRC建物には、帯筋間隔が粗い建物が残っている可能性があります。築年数の古い建物にお住まいの方や、企業・学校の施設担当の方は、耐震診断の状況を確認しておくことをおすすめします。
日本の地震の歴史と耐震対策の変遷については、こちらの記事も参考にしてください。
👉 日本の大地震の歴史に学ぶ!過去の被害年表と未来への対策
津波避難の教訓と現在の対策

津波に関しても、1968年十勝沖地震は重要な事実を示しています。「揺れを感じたら、迷わず高台へ逃げる」という行動が、命を守ることにつながります。
この地震では、発生から20〜60分で津波が到達しています。「まだ大丈夫だろう」と思っている時間が、最も危険な時間帯かもしれません。
海岸堤防が津波を完全に防いでくれるとは限りません。1968年の宮古では、堤防での観測波高が約4.98mに達しています。堤防はあくまで時間を稼ぐための設備。揺れを感じたらすぐに避難を開始することが最優先です。
また、通信の途絶という教訓も現代に活きています。大規模地震では携帯電話がつながりにくくなることが多くあります。家族との連絡方法をあらかじめ決めておくこと、ラジオや防災無線など携帯電話に依存しない情報収集手段を備えておくことが重要です。
地震の仕組みやプレートの動きについては、こちらの記事もご覧ください。
👉 地震と断層。その「でき方」を簡単に解説
今日見直したい地震への備え

5月16日という日付をきっかけに、今日の備えを一度確認してみましょう。
- 懐中電灯・ヘッドライトが使える状態かどうか確認する
- モバイルバッテリーを充電しておく
- 飲料水・保存食の期限を確認する(目安:1人1日3L・3日分以上)
- 携帯トイレの数を確認する
- 家族の避難場所と連絡方法を話し合っておく
- ハザードマップで自宅周辺の津波・土砂災害リスクを確認する
- 自宅・職場のRC建物の築年数と耐震診断の状況を確認する
地震への備えとして用意しておきたいものの詳細は、こちらの記事をご覧ください。
👉 地震に備えるものリスト完全版
まとめ:5月16日と十勝沖地震が残した教訓

5月16日は、1968年十勝沖地震が発生した日です。M7.9の海溝型地震は北海道・東北を広く揺らし、津波・建物倒壊・土砂災害によって多くの方が犠牲になりました。
この地震が残した最大の遺産は、鉄筋コンクリート建物への教訓と、1971年の建築基準法改正です。「新しいコンクリート建物でも、設計基準が不十分なら崩れる」——この事実が、現在の耐震基準の礎となりました。また、地震と大雨が重なることで土砂災害リスクが急増するという教訓も、複合災害への備えという観点で今も色あせません。
福島で東日本大震災を経験した私が今伝えたいのは、過去の災害から学ぶ姿勢の大切さです。58年前のあの日の教訓が、今あなたが住む建物の耐震性を守っています。過去の記録を今日の備えに変える——それが防災の本質だと思います。
大切な人を守るために、まずはできることから始めていきましょう。
参考情報について
本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。
本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。
数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。
十勝沖地震が教えてくれた備え
1968年十勝沖地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。
あなたの備えを今すぐ確認してください。
あなたの防災度チェック
- ☐ 自宅・職場のRC建物の築年数と耐震診断の状況を確認している
- ☐ 大地震発生後、すぐに高台へ向かう津波避難ルートを家族で共有している
- ☐ 通信が途絶した場合の家族との連絡方法を決めている
- ☐ 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
- ☐ 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している
十勝沖地震の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。
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🛡️ 防災士監修記事
後藤 秀和(ごとう ひでかず)
防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役
2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。




