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5月23日に起きた災害|北但大震災・北但馬地震から学ぶ防災カレンダー

5月23日の北但大震災・北但馬地震を振り返る防災カレンダーのイラスト

5月23日に起きた災害|北但大震災・北但馬地震から学ぶ防災カレンダー

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

5月23日は、兵庫県北部の但馬地方を大地震と大火災が同時に襲った日です。1925年(大正14年)のこの日に発生した北但大震災(北但馬地震)は、のどかな温泉街・城崎をはじめ、豊岡の市街地を壊滅させた複合災害でした。

この記事では、5月23日に発生した北但大震災・北但馬地震の概要と被害の実態を振り返り、そこから私たちが今日できる備えを防災士の視点でお伝えします。

過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今の暮らしを見直すきっかけにするためです。福島で東日本大震災を経験したからこそ、この教訓の重さが身に染みます。

目次

5月23日・北但大震災と北但馬地震の記録

1925年5月23日・北但大震災が発生した歴史的な日付を示すイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1925年5月23日に何が起きたか

1925年大正時代・北但大震災が発生した兵庫県但馬地方の川沿いの街並みイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1925年(大正14年)5月23日午前11時9分頃、兵庫県北部・円山川河口付近を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生しました。これが北但馬地震(きたたじまじしん)であり、この地震による災害を「北但大震災(ほくたんだいしんさい)」と呼びます。

震源付近の豊岡と城崎では震度6を観測しました。当時の震度階級では震度6が最大であり(震度7は1948年の福井地震後から適用)、この地域が経験できる最も激しい揺れに見舞われたことになります。

項目内容
発生日時1925年(大正14年)5月23日 午前11時9分頃
震源兵庫県北部・円山川河口付近(現豊岡市中心部付近)
規模M6.8
最大震度震度6(豊岡・城崎)※当時の最大震度
犠牲者数約420〜428人(資料による差あり)
全壊家屋約1,295〜1,733棟(資料による差あり)
焼失家屋約2,180〜2,328棟

犠牲者数・家屋被害数は、豊岡市史・城崎町史・気象庁資料など調査資料によって表記に差があります。本記事では「約420〜428人」と幅を持たせた表記にしています。最新の正確な情報は各省庁・自治体の公式情報でご確認ください。

揺れを感じる直前、円山川の河口付近では海側から「大砲のような音」が断続的に聞こえたといわれています。そして地震発生時、豊岡の地面は16秒間に4回も強く波打ったと記録されています。直下型地震特有の突き上げるような揺れが、いかに激しかったかが伝わってきますね。

(出典:気象庁神戸地方気象台「北但馬地震(1925年)特集ページ」

昼時の地震が招いた複合災害

地震発生時に台所の火を素早く消す行動を学ぶための防災教育イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災の被害をここまで深刻にした最大の要因のひとつが、発生時刻が昼食の準備時間帯だったことです。

当時の家庭や旅館では、昼食の支度のために台所で火を使っている最中でした。地震の初動で建物の多くが一気に倒壊すると、その炊事の火が瞬く間に火の手となって広がりました。

城崎温泉では複数箇所から同時に出火。北風にあおられた炎は翌日未明まで燃え続け、城崎の町は丸一日以上燃え続けました。豊岡では市街地の約7割が焼失。城崎では約272〜283人(資料による差あり)が犠牲になり、その多くが昼食準備中に家屋の下敷きになった方々でした。

地震は「揺れ」だけで終わらないことがあります。火災・津波・土砂崩れなど複数の災害が連鎖するのが直下型地震の怖さです。発生時刻・季節・天候によって、被害の性質が大きく変わります。

これは決して過去だけの話ではありません。今この瞬間、あなたのご自宅で昼食の準備中に震度6の揺れが来たら、どうなるか想像してみてください。コンロの火・ガスの元栓・避難のルート——今日の備えを見直すきっかけにしてほしいのです。

城崎温泉が壊滅した理由

北但大震災で被害を受けた城崎温泉の温泉街と復興後の街並みイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

開湯1300年以上の歴史を持つ城崎温泉は、北但大震災によって一度ほぼすべてを失いました。なぜ城崎の被害はこれほど甚大だったのでしょうか。

城崎の町は間口が狭く奥に長い2〜3階建ての木造建築が密集した構造でした。旅館が軒を連ねる温泉街特有の建物配置です。地震で家屋が倒壊すると、道路が瓦礫でふさがれ消防活動ができない状態になりました。

さらに昼食の準備時間帯という条件が重なり、台所のある1階が潰れて出火。風向きの関係もあって炎は猛烈な勢いで延焼しました。旅館の構造上、1階で調理をしていた女性が犠牲になるケースが多く、「北但大震災の最大の犠牲者は城崎の女性である」とまで記録されています。

有名な外湯などの浴場も、地蔵湯の一部を残してほぼすべてが倒壊・焼失しました。城崎温泉が1300年の歴史の中で経験した最大の危機でした。

被害を広げた地盤と密集市街地

軟弱地盤が地震の揺れを増幅するメカニズムを図解した防災教育イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災の被害拡大を「防災理科」の視点で見ると、地盤の問題が浮かび上がります。

豊岡・城崎が位置する円山川流域は、川が運んだ砂や泥が堆積した軟弱な沖積地盤の上に広がっています。この種の地盤は、硬い岩盤に比べて地震の揺れを大きく増幅させる性質があります。

【地盤と揺れの関係】地震の揺れは、硬い岩盤から柔らかい沖積地盤に伝わるとき増幅します。川沿い・埋め立て地・低地は特に揺れやすく、同じマグニチュードの地震でも倒壊率に大きな差が生まれます。北但大震災では、軟弱な沖積地盤上の家屋倒壊率が4割を超えました。

加えて、当時の建物はほぼすべてが木造でした。現代のような耐震基準はなく、密集した街並みは一度火が出ると延焼を食い止める手段がありませんでした。

自分の自宅がどんな地盤の上に建っているか、ご存じですか? ハザードマップや地盤情報サービスで調べてみると、意外な発見があるかもしれません。また、断層と地震の関係についてはこちらの記事でも詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。

田結村の共助が示した奇跡

北但大震災・田結村で住民が協力して消火活動を行い命を守った共助のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災には、絶望的な状況の中で人々の力が命を救った記録も残されています。それが港村田結(現豊岡市田結)の出来事です。

震源地に最も近いとされる田結では、83戸中82戸が全壊するという壊滅的な状況でした。複数箇所から同時に火の手が上がりました(資料によって「3か所」「10か所前後」と表記に差があります)。

このとき住民たちが取った行動は、「救助より先に消火」でした。倒壊した家屋の下にいる人を助けることを一時後回しにして、まず延焼阻止に全力を注いだのです。結果として火災は食い止められ、鎮火後に救助が行われ、倒壊家屋から58人が救出されました。住民約440人のうち犠牲になったのは7人にとどまりました。

この行動を知った地震学者の今村明恒は、「震災国日本における模範的な行動」と賞賛しました。田結では1940年(昭和15年)に震災記念碑が建立され、この教訓は後世に伝えられています。

個人の力には限界があります。でも、地域が連携すれば命は救える——この事実が、100年前の小さな村で証明されました。

北但大震災・北但馬地震の教訓と備え

北但大震災の教訓から家族で防災チェックリストを確認している場面のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

地震と火災が同時に起きたとき

地震直後にガスの元栓を閉める防災行動を示した教育イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災が私たちに残した最大の教訓のひとつが、地震直後の火災対策です。

地震が発生したとき、多くの人は「揺れから身を守ること」を最優先に考えます。これは正しいです。しかし揺れが収まった直後、次に取るべき行動として「火の始末」を意識している人がどれだけいるでしょうか。

【地震直後の火の確認ポイント】
① 揺れが収まったらすぐにコンロ・ストーブの火を消す
② ガスの元栓を閉める
③ 煙や焦げ臭さを感じたらすぐに避難を優先する
④ 初期消火は「自分が安全な場合のみ」「30秒以内」が原則

現代のガスコンロには安全装置がついていますが、停電・ガス漏れ・家具の転倒など複合的な状況下では予期しない出火が起こることがあります。また、阪神・淡路大震災でも、地震直後よりも数時間後の「通電火災」が被害を広げました。

地震が起きた瞬間から直後の行動については、地震が起きた時に取るべき行動(場所別マニュアル)をぜひ参考にしてください。

軟弱地盤と住まいの耐震化

住宅の耐震化・耐震補強の重要性を示した防災教育イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災で家屋倒壊率が4割を超えた背景には、軟弱地盤という条件がありました。これは現代でも変わらない問題です。

日本全国の川沿い・低地・埋め立て地に住んでいる方は、まず自分の地盤リスクを把握することが大切です。国土交通省が公開している地盤情報サービス(KuniJiban)や、各自治体のハザードマップで確認できます。

また、住まいの耐震性も重要な確認ポイントです。

  • 1981年(昭和56年)以前の「旧耐震基準」で建てられた住宅は、耐震診断・補強を検討する
  • 2000年(平成12年)以前の建物も、接合部の強度など確認が必要な場合がある
  • 家具の固定・転倒防止も家屋内での生存率に直結する

北但大震災から100年が経った現代でも、国内には旧耐震基準の木造住宅が多く残っています。「自分の家は大丈夫」という思い込みが、最も危険な油断かもしれません。

孤立集落と情報途絶への備え

孤立集落での自助備蓄・ラジオ・モバイルバッテリー準備の防災教育イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

但馬地方は三方を山地に囲まれ、北は日本海に面した地形です。北但大震災では地震で交通網が寸断され、周辺からの消防団・陸海軍の救護隊が到着するまでに丸一日かかりました。

この「孤立」は、現代でも十分に起こりえる事態です。能登半島地震(2024年)でも、道路の崩壊によって多くの集落が数日〜数週間にわたって孤立しました。

救援が来るまでの間、自分たちで生き延びる力が必要です。最低3日間、できれば1週間分の食料・水・医薬品・携帯トイレなどの備蓄を家庭で準備しておきましょう。情報収集のためのラジオや、充電切れに備えたモバイルバッテリーも欠かせません。

また、平時から地域の防災マップや避難場所を確認しておくこと、家族間の連絡手段・集合場所を決めておくことが、いざというときの混乱を大幅に減らします。

共助の力が命を救った事実

地域住民が協力して防災訓練に参加する共助の大切さを示したイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

田結村の事例でも見たように、北但大震災で命を守れた場面の多くに「共助」がありました。

豊岡中学校の生徒約500名が倒壊家屋からの生存者救助や消火活動に従事しました。鳥取高等農業学校(現鳥取大学農学部)の学生有志がいち早く城崎に駆けつけてボランティア活動を展開。地元の城崎青年団も自身が被災者でありながら救護活動に立ち上がりました。

城崎温泉の復興後の姿も、共助の精神が支えました。住民たちは区画整理のために土地の1割を無償提供し、防火のために道路幅を広げ、外湯を中心とした街並みを自分たちの手で再建しました。

「自助・共助・公助」という言葉をよく聞きますが、北但大震災はまさに共助の力が公助の遅れを補い、地域全体を救った事例です。日頃からご近所とのつながりを大切にすること、自治会や町内会の防災訓練に参加すること——こうした小さな積み重ねが、いざというときの生存率を上げます。

今日見直したい防災チェックリスト

防災チェックリストで防災グッズの備えを確認している場面のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

北但大震災の教訓を踏まえ、今日確認してほしいことをまとめました。

  • コンロ・ストーブ付近の可燃物を整理し、地震直後に火を消せる状態にしておく
  • ガスの元栓の場所を家族全員が把握している
  • 自宅の地盤リスクをハザードマップで確認する
  • 旧耐震基準(1981年以前)の住宅に住んでいる場合、耐震診断を検討する
  • 3日分以上の食料・飲料水・医薬品・携帯トイレを備蓄している
  • モバイルバッテリー・ラジオが機能する状態にある
  • 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している
  • 近隣との顔見知りの関係(共助の土台)がある

防災リュックや家庭用備蓄の具体的な中身については、地震に備えるものリスト完全版で詳しく解説していますので、ぜひあわせてご覧ください。

北但大震災・北但馬地震の教訓を今日へ

北但大震災の教訓を現代の防災備えにつなげる「過去と今をつなぐ」イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1925年5月23日に発生した北但大震災・北但馬地震は、M6.8という規模に加え、「昼時の出火」「軟弱地盤」「木造密集市街地」「交通網の孤立」という複数の条件が重なって甚大な被害をもたらしました。

しかし同時に、田結村の共助の奇跡、城崎の住民主導の復興、100年後も生きた防火まちづくりの知恵が示されました。城崎温泉が北但大震災後に整備した鉄筋建物と道路幅の拡張が、2015年の火災での延焼防止に貢献したという事実は、「備えは未来の命を守る」ということを証明しています。

過去の災害は遠い昔の話ではありません。今日、5月23日というこの日に北但大震災を思い起こすことは、私たちの暮らしの中にある「もしも」に目を向けるきっかけです。

大切な人を守るために、今日できることから始めていきましょう。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

参考情報について

本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。

本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。

北但大震災が教えてくれた備え

北但大震災・北但馬地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。

あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

  • [ ] 地震直後にガスの元栓を閉める手順を家族で確認している
  • [ ] 自宅の地盤リスクとハザードマップを把握している
  • [ ] 3日分以上の食料・水・携帯トイレが備蓄できている
  • [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
  • [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

北但大震災の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。

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🛡️ 防災士監修記事後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

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この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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