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6月3日に起きた災害|雲仙普賢岳大火砕流から学ぶ防災カレンダー

6月3日・雲仙普賢岳大火砕流を振り返る防災カレンダーのイラスト

6月3日に起きた災害|雲仙普賢岳大火砕流から学ぶ防災カレンダー

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

6月3日は、日本の火山防災の歴史が大きく変わった日です。

1991年のこの日、長崎県の雲仙普賢岳で戦後最大規模の火山災害が発生しました。溶岩ドームが大きく崩落し、発生した大火砕流は43人の命を奪いました。消防団員、警察官、報道関係者、そして世界的に著名な火山学者たちが、誰も予測できなかった火砕流の猛威に巻き込まれました。

6月3日は、過去の悲劇を振り返るためだけの日ではありません。この出来事が日本の火山防災をどう変えたか、そして今の私たちが何を備えるべきかを考える日です。

過去の災害を知ることは、不安をあおるためではありません。同じ被害を繰り返さないために、今日の暮らしを見直すきっかけにするためです。

目次

6月3日・雲仙普賢岳火砕流の記録

雲仙普賢岳の溶岩ドームをイメージした教育的なイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1990年噴火再開から始まった長崎の異変

1990年秋、噴煙を上げ始めた雲仙普賢岳の穏やかな風景イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

雲仙普賢岳が再び噴火の兆しを見せ始めたのは、1990年(平成2年)の秋のことでした。

同年11月17日、普賢岳山頂東側の地獄跡火口と九十九島火口で水蒸気噴火が発生します。これは1792年(寛政4年)の大噴火以来、実に198年ぶりの噴火活動でした。当初は比較的小規模な噴煙活動でしたが、翌1991年5月20日には山頂部に溶岩ドームが確認され、活動は一気に本格化していきます。

溶岩ドームとは、粘り気の強いマグマが火口から押し出され、流れることなく積み重なってできた丘状の地形です。雲仙普賢岳のマグマはデイサイトと呼ばれる粘性の高いタイプで、溶岩が広がらずにドーム状に盛り上がっていきました。

このドームが少しずつ成長し、表面が崩れるたびに火砕流が発生する、という状況が続きます。5月下旬には比較的大きな火砕流が何度か発生し、住民の一部は避難を余儀なくされていました。しかし、当時は「火砕流が届く範囲はここまでだろう」という見立てが共有されていたことが、後の悲劇につながっていきます。

雲仙普賢岳は長崎県島原半島の中央部に位置する火山群の総称で、主峰の普賢岳(標高1,359m)を含む複数の峰から構成されています。1990〜1995年の噴火では、新たに形成された溶岩ドームが「平成新山」と命名され、現在は長崎県最高峰(標高1,486m)となっています。

溶岩ドームの崩落が生んだ大火砕流

溶岩ドームの崩落と火砕流の流れを示す教育的な断面図イラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1991年6月3日、午後4時8分。

普賢岳の山頂部で、それまでの噴火活動で最大規模の溶岩ドーム崩落が起きました。成長を続けてきたドームが大きく崩れ、高熱の岩塊・火山灰・火山ガスが混然一体となって山の斜面を猛スピードで駆け下ります。これが「大火砕流」と呼ばれる現象です。

火砕流は水無川沿いの谷を流れ下り、市街地方向へと押し寄せました。その到達距離は溶岩ドームから東方約4.5キロメートルに及んだとされています。さらに火砕流本体に伴って発生した「火砕サージ」と呼ばれる高熱の熱風が、火砕流本体よりもさらに広い範囲を覆いました。

この火砕サージが、農業研修所付近にいた人々を直撃したのです。

火砕流と火砕サージは異なる現象です。火砕流は高密度の岩塊・灰・ガスの混合物が谷沿いを流れる現象。火砕サージはそこから分離した低密度の熱風で、地形を選ばず広範囲に広がります。6月3日の大惨事は、火砕流本体ではなく、この火砕サージによって引き起こされた側面が大きいとされています。

43人の命を奪った「定点」の悲劇

報道の定点撮影ポイントをイメージした静かな丘のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

大火砕流が発生した当時、被害が集中した場所は「定点」と呼ばれる地点の周辺でした。

「定点」とは、報道関係者が火砕流や溶岩ドームを撮影するために継続的に使用していた撮影ポイントで、北上木場地区の農業研修所付近に位置していました。溶岩ドームから東方約4.5キロメートルの地点です。

なぜ多くの人がこの場所に集まっていたのでしょうか。複数の要因が重なったと考えられています。

ひとつは「5月29日に到達した距離より先には来ないだろう」という見立てが広がっていたことです。実際に6月2日まで、それを上回る規模の火砕流は発生していませんでした。もうひとつは、当時の消防団が土石流を警戒して農業研修所付近で監視を続けていたこと、そして報道各社が撮影のためにその周辺に集まっていたことです。

内閣府の報告書によれば、大火砕流の発生1時間前には気象庁雲仙岳測候所から「非常に危険な状態になった」と長崎県島原振興局へ通報がなされていました。しかし、その情報が定点周辺の全員に届くことはなかったのです。

(出典:内閣府『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1990-1995 雲仙普賢岳噴火』

マスコミ・消防団員・クラフト夫妻の犠牲

犠牲者への追悼をイメージした丘の記念碑と献花のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

6月3日の大火砕流による死者・行方不明者は43人でした。その内訳は、消防団員12人、マスコミ関係者(タクシー運転手4人を含む)20人、警察官2人、外国人火山学者3人、地元市民6人とされています。

なかでも世界的に注目されたのが、外国人火山研究者3人の犠牲です。なかにはモーリス・クラフト氏とカティア・クラフト氏の夫妻が含まれており、二人は世界中の火山現場を取材してきた著名な火山カメラマン・研究者でした。火砕流について最も深く知る人々が、その前に倒れたという事実は、世界の火山研究者に大きな衝撃を与えました。

また、消防団員の方々の多くは、住民の安全を守るために土石流の監視という職務を果たしながら犠牲になりました。警察官も住民への警告活動の中で命を落とされました。

報道関係者の犠牲が多かったことは、当時大きな議論を呼びました。「なぜ危険地帯に立ち入っていたのか」という問いは今も残りますが、当時は危険区域の周知や立ち入り制限の体制が十分ではなかったという状況的な側面も指摘されています。特定の人物や組織を責めるより、「情報伝達と現場の判断の間に何が起きたのか」を学ぶことが、防災の教訓として重要だと私は考えています。

なお、1991年6月3日の大火砕流後も噴火活動は継続し、1993年には火砕流で住民1人が犠牲になっています。1990〜1995年の一連の噴火活動全体での死者・行方不明者は44人とされています(資料により表記に差があります)。

時速100km・700度が迫る火砕流のメカニズム

火砕流の速度と温度のメカニズムを図解した教育的なイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

火砕流はなぜ、あれほど多くの命を奪ったのでしょうか。そのメカニズムを理解しておくことが、現代の私たちの防災意識につながります。

火砕流の最大の特徴は、その速度と温度です。雲仙普賢岳で発生したタイプの火砕流(熱雲とも呼ばれます)は、時速100キロメートル前後、温度は700度前後に達するとされています。これは人間の力で逃げ切ることができない速さであり、木々や建物を一瞬で焼き尽くす熱量です。

火砕流が発生するメカニズムは以下のように理解されています。

  1. マグマが地下から上昇し、火口近くに溶岩ドームを形成する
  2. ドームの表面が冷えて固まり、内部には高温・高圧のガスが蓄積される
  3. ドームが重力や内圧によって崩落する
  4. 崩れた岩塊が自ら砕け、高温のガスとともに斜面を一気に流れ下る
  5. 本体に伴い、低密度の熱風(火砕サージ)が広範囲に広がる

雲仙普賢岳の噴火では、溶岩ドームが成長しては崩れるサイクルが繰り返され、火砕流の発生回数は地震波形の分析では1万回を超えるとも推計されています。ただし、そのほとんどは小規模なものでした。

火山活動のメカニズムについてさらに詳しく知りたい方は、こちらの記事も参考にしてください。
👉 火山活動による大地の変化とは?仕組みや事例を防災士が解説

火砕流の「流れる速さ」と「高温」という2つの特性が、人間にとってなぜ致命的なのかを理解しておきましょう。速さの面では、自動車でも逃げ切れない場合があります。温度の面では、接触しなくても熱風(火砕サージ)だけで致命的なやけどを負う危険があります。

6月3日の教訓・雲仙普賢岳火砕流が変えたもの

過去の火山災害の記録と現代の防災備えをつなぐタイムラインイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

日本初・警戒区域設定という歴史的転換

警戒区域の設定をイメージした地図と境界線のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

6月3日の大火砕流は、日本の火山防災の制度を大きく変えるきっかけになりました。

最も重要な変化のひとつが、災害対策基本法に基づく「警戒区域」の設定です。内閣府の報告書によれば、この大火砕流を受けて、人が住む地域において初めて災害対策基本法に基づく警戒区域が設定されました。これは日本の火山災害対応の歴史における大きな転換点でした。

警戒区域の設定により、危険エリアへの立ち入りが法的に制限されることになります。しかし、長期化する噴火活動の中で、住民の生活・経済への影響との兼ね合いも生じ、区域の段階的な縮小が繰り返されるという難しい局面も続きました。火山災害における「安全の確保」と「住民の生活継続」をどう両立させるか、という課題が初めて本格的に議論されることになったのです。

現在の日本では、活火山の周辺に「火山ハザードマップ」が整備されており、火砕流・噴石・溶岩流などの到達予測範囲が示されています。自分が住む地域や訪問先の近くに活火山がある場合は、事前にハザードマップを確認しておくことが重要です。

無人化施工という技術が生まれた背景

遠隔操作の重機と監視モニターをイメージした無人化施工のイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

雲仙普賢岳の噴火がもたらした教訓のひとつが、「無人化施工」という技術の開発です。

噴火が長期化するなか、山麓には大量の火山灰や土砂が堆積し、大雨のたびに土石流が発生する危険がありました。堆積した土砂を取り除く工事が急務でしたが、警戒区域内での作業員の安全確保が最大の課題でした。

そこで開発・実用化されたのが、人が近づかずに重機を遠隔操作する「無人化施工」の技術です。カメラ映像を見ながら離れた場所から重機を操作するこの技術は、雲仙普賢岳での経験をもとに実用化が進み、その後の日本の災害復旧工事において広く活用されるようになりました。

災害という悲劇の中から、人命を守る技術革新が生まれた。この事実もまた、6月3日の教訓のひとつです。

土石流と複合する長期避難の実態

雲仙普賢岳の噴火災害が特徴的だったのは、その長期性と複合性にあります。

1990年11月の噴火再開から1995年2月頃の活動終息まで、約5年にわたって噴火活動が続きました。その間、島原市や深江町の住民は長期にわたる避難生活を余儀なくされ、最終的な建物被害は2,500棟を超えたとされています。

さらに、噴火活動と並行して深刻化したのが土石流です。山の斜面に堆積した大量の火山灰が、梅雨や台風による大雨のたびに土石流となって流れ下りました。1991年6月30日には大規模な土石流が発生し、火砕流とは別の被害をもたらしています。

「火砕流が怖い」という認識は広まっていましたが、それ以後の「土石流の長期リスク」への対応は、噴火災害の複合的な側面として新たな課題を突き付けました。一つの災害が終わっても、二次・三次災害のリスクが続く。この教訓は、現代の複合災害対策の考え方につながっています。

島原市には現在、「雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)」が設置されており、火砕流・土石流の当時の様子や防災・減災の教訓を学ぶことができます。「がまだす」とは島原地方の方言で「頑張る」を意味し、噴火災害からの復興への思いが込められています。

今日から見直したい火山防災チェックリスト

長期避難生活をイメージした家族と仮設住宅の温かいイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

雲仙普賢岳火砕流の教訓を、今日の備えに変えましょう。

日本は世界有数の火山国です。気象庁が常時観測する活火山は111座にのぼります。自分が住む地域の近くに活火山があるかどうか、まず確認してみてください。

火山防災・今日のチェックリスト

  • 自宅・職場・学校の近くに活火山があるか確認する
  • 自治体の火山ハザードマップを入手・確認する
  • 火山噴火時の避難場所・避難ルートを把握する
  • 噴火警戒レベルの意味と行動基準を確認する
  • 火山灰対策としてゴーグル・マスク・防塵対策品を備える
  • 長期避難に備えた食料・水・薬の備蓄を確認する
  • 家族の連絡手段・集合場所を決めておく

特に重要なのが「噴火警戒レベル」の理解です。気象庁は活火山ごとに噴火警戒レベル(1〜5)を発表しており、レベルに応じた立ち入り規制や避難の目安が定められています。「なんとなく危ないな」で動くのではなく、公式情報を基に冷静に判断する習慣をつけておきましょう。

また、火山灰への備えも忘れずに。火山灰は細かいガラス質の粒子でできており、目・鼻・肺への影響があります。防塵マスクやゴーグルを防災リュックに入れておくことをおすすめします。防災リュックの中身全体を見直したい方は、こちらの記事も参考にしてください。
👉 防災リュックの中身リストと選び方|必要なもの・容量・家族構成別の完全ガイド

さらに、地震が起きた時の初動行動を確認しておくことも重要です。火山噴火の前には火山性地震が増加することが多く、地震対応と火山対応を組み合わせて理解しておきましょう。
👉 地震が起きた時に取るべき行動は?場所別マニュアルと時間軸の鉄則

6月3日・雲仙普賢岳火砕流の教訓を今日の備えへ

6月3日のカレンダーと防災リュックを玄関に備えるイラスト
ふくしまの防災 HIH ヒカリネット・イメージ

1991年6月3日に起きた雲仙普賢岳の大火砕流。この出来事が私たちに残した教訓を、最後に整理しておきます。

雲仙普賢岳火砕流が教えてくれた3つの教訓

  • 「ここまでは来ないだろう」は禁物:過去の到達距離より大きな火砕流は起こりうる。想定外を想定する姿勢が命を守る。
  • 情報伝達の「最後の一手」が命を分ける:危険情報が発信されても、現場の全員に届かなければ意味がない。情報収集の手段を複数持つことが重要。
  • 複合災害への備えを忘れない:噴火→火砕流→土石流と、災害は連鎖する。「今の危機」だけでなく「次の危機」への意識も持つ。

6月3日は、過去の出来事を振り返るだけの日ではありません。あの日の教訓を、今日の備えに変える日にしていきましょう。

福島で東日本大震災を経験した防災士として、「あのとき備えていたら」という後悔をなくしたいという思いでこの記事を書いています。過去の記録は、未来の命を守るためにあります。今日、防災リュックを確認する。家族と避難場所を話し合う。ハザードマップを見てみる。その小さな一歩が、いざというときに大きな力になります。

大火砕流が教えてくれた備え

雲仙普賢岳の大火砕流から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。

あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

  • [ ] 自宅や学校・職場の近くの活火山とハザードマップを確認している
  • [ ] 噴火警戒レベルの意味と、レベルごとの行動を知っている
  • [ ] 火山灰対策としてマスク・ゴーグルを防災リュックに入れている
  • [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
  • [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

大火砕流の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。

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参考情報について

本記事は公的資料をもとに、過去の災害や防災に関する出来事を紹介しています。災害の記録は調査の進展や資料によって数値・表記が異なる場合があります。最新の正確な情報は、各省庁・自治体・関係機関の公式情報をご確認ください。

本記事は、特定の個人・地域・団体を批判するものではなく、過去の出来事から防災の教訓を学び、今日の備えにつなげることを目的としています。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

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この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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