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【防災士解説】リスボン地震のメカニズムと1755年の教訓を学ぶ

1755年のポルトガル・リスボンの港町の朝の風景イメージ

【防災士解説】リスボン地震のメカニズムと1755年の教訓を学ぶ

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

「リスボン地震」という名前を聞いたことはありますか?1755年にポルトガルで起きたこの地震は、今から270年近く前の出来事です。でも、そのリスボン地震のメカニズムを知れば知るほど、「これは遠い昔の外国の話ではない」と感じるようになります。

地震が起き、津波が押し寄せ、そして火災が街を焼き尽くす。この三重の複合災害は、2011年3月11日に私が福島で経験した東日本大震災と、恐ろしいほど重なって見えます。あの日を経験したからこそ、270年前のリスボンの人々が何を感じ、どう行動し、そこからどんな教訓が生まれたのかを、しっかりと伝えたいと思っています。

この記事では、リスボン地震が起きた背景とそのメカニズム、そして現代の私たちの防災に直結する教訓まで、できるだけわかりやすくお伝えします。ぜひ最後まで読んでみてください。

動画で紹介したのは、1755年に起きた「リスボン地震」です。

マグニチュード9.0クラスの揺れの後、最大30mの津波、そして5日間にわたる大火災が人々を襲いました。 地震、津波、火災が連鎖する「複合災害」は、決して過去の海外の話ではありません。明日の日本でも起こりうる現実です。 過去の悲劇から学び、最悪の事態を想定して備えること。それが家族の命を守る第一歩になります。

755年リスボン地震の教訓と現代の防災対策(地震・津波・火災の複合災害と避難行動の解説)
目次

リスボン地震が起きたポルトガルの1755年

1755年11月1日の朝に何が起きたか

1755年11月1日、午前9時20分ごろ。ポルトガルの首都リスボンは、穏やかな朝を迎えていました。

この日は「諸聖人の日(万聖節)」というカトリックの重要な祭日でした。多くの市民が家族と連れ立って近くの教会へ向かい、ミサに参列していました。街は信仰と祝祭の空気に包まれていたのです。

そのとき、突然、地の底から雷のような低い轟音が聞こえてきました。次の瞬間、リスボンの大地が激しく揺れはじめます。揺れは3分半から6分間(記録によって異なります)にわたって続きました。これほど長い間、大地が揺れ続けるというのは、普通の地震ではありません。

1755年リスボン地震の基本データ
発生日時:1755年11月1日 午前9時20〜40分頃
震源:ポルトガル西南西沖 約200km(大西洋)
規模:モーメントマグニチュード Mw8.5〜9.0(推定)
揺れの継続:3分半〜6分間

最初の激震で、リスボン市内の中心部には幅5メートルもの地割れが走りました。教会や貴族の邸宅、一般家屋が次々と崩れ落ち、ミサに集まっていた多くの市民が建物の下敷きになりました。

当時のリスボンは、大航海時代の栄光を背負ったヨーロッパ有数の大都市でした。人口は約25〜27万5,000人。ロンドン、パリ、ナポリに次ぐヨーロッパ第4の都市として繁栄を誇っていたのです。その華やかな街が、わずか数分間の揺れで瓦礫の山へと変わってしまいました。

被害の規模とリスボンの惨状

地震・津波・火災の三重複合災害を表すアイコン図解イメージ

最初の揺れで命を落とした方は、約2万人にのぼるとされています。しかし、リスボン地震の恐ろしさはそれだけではありませんでした。

揺れが収まると、生き残った市民たちは本能的に「海や川のそば」へと逃げ始めました。当時の人々にとって、開けた水辺は安全な場所というイメージがあったのです。ところが、その約30〜40分後、信じられない光景が広がります。

巨大な津波がリスボンの海岸に押し寄せてきたのです。

リスボン市街で約6メートル、南部のアルガルヴェ地方では最大30メートルという記録的な高さの波が、水辺に逃げ込んでいた人々を一気に飲み込みました。津波による犠牲者だけで約1万人に達したとされています。

さらに、地震と津波の後には火災が発生。倒壊した建物の中で燃えていたろうそくや暖炉の火が、瓦礫の街に燃え広がりました。この火事はなんと6日間も続き、かろうじて地震に耐えた建物も次々と焼き尽くしていきました。

リスボン地震の最終的な被害規模は、資料によって大きく異なります。死者数は5万5,000人から9万人とも言われており、当時の記録や調査手法の限界から、正確な数字の特定が難しい状況です。建物の被害はリスボン市内の約85%が崩壊または焼失したとされています。

地震・津波・火災という三重の複合災害。この構造は、2011年の東日本大震災とも重なります。あの日を経験した私には、270年前のリスボンの人々の恐怖と絶望が、決して他人事には思えません。

リスボン地震のメカニズムと震源

プレート境界でのひずみ蓄積とリスボン地震の震源メカニズム図解

では、なぜこれほど巨大な地震がポルトガル沖で発生したのでしょうか。ここではリスボン地震のメカニズムを、プレートの仕組みから丁寧に解説します。

地球の表面は「プレート」と呼ばれる十数枚の巨大な岩盤に覆われています。このプレートが年間数センチずつ動き続けることで、地震や火山活動が引き起こされます。

リスボン地震の震源は、ポルトガル西南西沖約200キロメートルの大西洋海底と推定されています。この場所は「アゾレス・ジブラルタル活断層地帯」と呼ばれる、ユーラシアプレートとアフリカプレートがぶつかり合う境界付近にあたります。

アゾレス・ジブラルタル活断層地帯とは?
大西洋のアゾレス諸島からジブラルタル海峡にかけて走る活断層の集中帯。ユーラシアプレートとアフリカプレートが衝突・すれ違う地帯で、歴史的にM8クラスの巨大地震が繰り返し発生してきた地震活動の活発な海域です。

アフリカプレートは北方向、つまりユーラシアプレートの方向へゆっくりと動き続けています。長い年月をかけて蓄積されたひずみエネルギーがある限界を超えたとき、プレート境界が一気にずれ動く——それが1755年11月1日に起きたことです。

近年の研究では、イベリア半島南西沖の「弓状の沈み込み帯(マイクロプレート)」が震源とする説も学術誌に発表されています(2004年、Marc-André Gutscher氏らによるScienceへの投稿)。現在も研究と議論が続いている点は、正直にお伝えしておきます。

マグニチュードと津波が被害を拡大した理由

海底地震から発生した津波が大西洋を伝わる仕組みを示す図解イメージ

リスボン地震の推定マグニチュードはMw8.5〜9.0。この数字がいかに巨大かは、比較するとよくわかります。2011年の東日本大震災はM9.0、1995年の阪神・淡路大震災はM7.3でした。マグニチュードは1違うとエネルギーが約32倍異なりますから、リスボン地震は阪神・淡路大震災の数千倍以上のエネルギーを持っていたことになります。

これほど巨大な地震が海底で起きると、海水が一気に押し上げられて津波が発生します。リスボン地震で発生した津波は、発生から10時間後には約6,100キロメートル離れたカリブ海のマルティニーク島にも4メートルの波として到達しました。1,100キロメートル東のアルジェリア・アルジェでも被害が報告されています。

リスボン地震の津波到達範囲
・リスボン市街:約6メートル
・スペイン・カディス:約20メートル
・ポルトガル・アルガルヴェ地方:最大約30メートル
・カリブ海・マルティニーク島(約6,100km):約4メートル(10時間後)
・アルジェリア・アルジェ(約1,100km):被害報告あり

ここで重要な教訓があります。揺れが収まったとき、多くの市民が「川辺や港」へ逃げました。開けた場所に出ようとする判断は自然ですが、海沿いや川沿いの低地は津波が来れば最も危険な場所です。

「揺れが止まったら終わり」ではない。大きな地震の後には必ず津波の可能性を考え、すぐに高台へ逃げる——このことをリスボン地震は270年前にすでに教えてくれていたのです。

火災が追い打ちをかけた複合災害の構造

火災に立ち向かい協力して消火活動を行う18世紀の人々のアニメ調イラスト

地震と津波を生き延びた人々を、さらに苦しめたのが火災でした。地震が起きた11月1日は、教会のあちこちでミサのろうそくが灯されていました。建物が崩壊した際に、これらの火が倒壊した木材や布地に燃え移り、街全体に広がっていきました。

6日間にわたって燃え続けた火災は、地震と津波を生き延びた建物まで焼き尽くしました。当時のリスボンは石造りの建物が多かったものの、内装の木材や家具・調度品が豊富にあり、一度火が燃え広がると止める手段がありませんでした。

複合災害が被害を何倍にも広げる
リスボン地震は「地震→津波→火災」の順番で三重の災害が連続して発生しました。一つひとつの災害だけでも甚大な被害をもたらしますが、複合することで逃げ場がなくなり、救援活動も極めて困難になります。東日本大震災でも、津波後の火災が各地で発生しました。複合災害を想定した備えが重要です。

また、この火災は「略奪」という二次的な社会問題も引き起こしました。混乱に乗じて街中での略奪が相次ぎ、社会秩序が崩壊しかけたのです。このことが、後の「国家主導の災害対応」という発想につながっていきます。

リスボン地震は、単なる自然災害ではありませんでした。地震・津波・火災・略奪・疫病リスクという複合的な危機が同時多発的に起き、一国の首都が機能を完全に失うという、人類史上でも類を見ない規模の都市崩壊でした。

リスボン地震のメカニズムが現代防災に伝えること

ポルトガル衰退と復興への道のり

リスボン地震は、ポルトガルという国家そのものを大きく変えました。

当時のポルトガルは「大航海時代」の栄光を引き継ぐ海洋大国でした。バスコ・ダ・ガマが開拓した航路、ブラジルをはじめとする海外植民地からの富——それらがリスボンという都市を支えていました。その中枢が一瞬で失われたのです。

震災直後、宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(後のポンバル侯爵)は国王ジョゼ1世から全権を委任され、復興の陣頭指揮を執りました。「死者を葬り、生ける者には食糧を」という言葉とともに、疫病対策・治安維持・食料配給・仮設住居の建設など、国家的な救援活動を即座に展開しました。

震災から3年後には『リスボン市が1755年に被った地震において取られた主要な措置の覚書』が出版されます。これは政府の震災対応を14のカテゴリーに整理した、世界初の国家的災害対応マニュアルとも言えるものでした。

しかし、復興の道のりは決して平坦ではありませんでした。震災のダメージは経済の基盤を長期にわたって蝕み、その後のブラジル独立運動やナポレオンのイベリア半島侵攻なども重なって、ポルトガルは「失われた250年」とも呼ばれる長期衰退の道を歩むことになります。

近代都市計画と防災思想の誕生

リスボン地震が人類にもたらした最も大きな贈り物のひとつが、「耐震・耐火を考慮した都市計画」の誕生です。

ポンバル侯爵は、瓦礫となったリスボンの中心部「バイシャ地区」を一から再設計しました。その特徴は現代の都市計画の観点から見ても先進的なものでした。

ポンバル侯爵が導入した復興都市計画の特徴
・広い街路と大きな広場の整備(火災時の延焼防止・避難路確保)
・耐震・耐火基準を初めて建築に義務付け
・建材の規格化・プレハブ化(工期短縮とコスト削減)
・「ポンバリーノ建築」と呼ばれる独自の耐震構造(木製の格子フレームを壁内に組み込む)

現在もリスボンのバイシャ地区に残る「ポンバリーノ建築」は、世界で最初に耐震設計を取り入れた建物群として、建築史に名を刻んでいます。

「災害の後に、より安全な街をつくる」という発想——これは現代の防災・減災の根幹をなす考え方です。その出発点がリスボン地震の復興にあったと考えると、270年前のポルトガルの人々の決断がいかに重要だったかがわかります。

日本でも、1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災を経て、建築基準法の改正や津波避難タワーの整備が進みました。災害から学び、次の世代を守る街をつくる——その思想は、リスボンから始まったとも言えるかもしれません。

リスボン地震が変えた世界の地震研究

地震を科学的に研究する18世紀の学者をイメージしたアニメ調イラスト

リスボン地震は、地震の「研究」という分野においても歴史的な転換点となりました。

当時のヨーロッパでは、地震は「神の怒り」や「神罰」として宗教的に解釈されていました。大地震が起きると聖職者たちは「神に許しを請え」と呼びかけ、科学的な原因究明よりも祈りが優先されていたのです。

しかしポンバル侯爵は違いました。彼はポルトガル国内の全40の教区と植民地に質問状を送り、「地震の揺れの方向は?」「余震はいつ、何回あったか?」「津波の高さと時刻は?」という科学的な質問への回答を集めました。集まった記録は現在もポルトガル国立公文書館に保存されており、現代の研究者たちが1755年の地震を科学的に再現するための貴重なデータベースとなっています。

カントとリスボン地震
哲学者イマヌエル・カントはリスボン地震の報道に強い衝撃を受け、「地震原因論」「地震の歴史と博物誌」「地震再考」の3つの著作を著しました。これらは地震を「神罰」ではなく「自然現象」として科学的に分析しようとした、近代科学史上もっとも初期の試みのひとつと評価されています。カントはこの研究を通じて「崇高」という哲学概念を深め、後の近代哲学に大きな影響を与えました。

ポンバルの質問状とカントの著作は、地震を「神が決めること」から「人間が理解し、備えられること」へと変えていく大きな転換点でした。これは現代の「防災科学」の出発点とも言えます。

日本でも気象庁が全国の地震観測データを収集・公開しているのは、まさにこの「記録することが命を守る」という精神を受け継いでいます。(出典:気象庁「南海トラフ地震のメカニズム」

日本の南海トラフと共通するメカニズム

南海トラフでのプレート沈み込みと巨大地震発生メカニズムの図解イメージ

「リスボン地震は遠い昔の外国の話」——そう思ってしまいそうですが、そのメカニズムは日本が現在最も警戒している地震と驚くほど似ています。

リスボン地震は、ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界(プレート境界型)で発生した海溝型地震です。一方、南海トラフ地震は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むプレート境界で発生する海溝型地震です。

リスボン地震と南海トラフ地震の共通点
・どちらも「プレート境界型」の海溝型地震
・どちらも陸地から離れた海底が震源
・どちらも地震直後に大規模津波が発生
・どちらも「地震→津波→火災」の複合災害パターン
・どちらも沿岸の低地への津波到達時間が数十分程度

南海トラフ地震は、静岡県から宮崎県にかけての太平洋沿岸を中心に、最大でM9クラスの地震と大規模津波が発生すると予測されています。内閣府の最新被害想定(令和7年3月公表)では、最悪の場合、直接死は最大約29.8万人に達する可能性があるとされています。

リスボンの人々が経験した「揺れが来て、津波が来て、火災が追い打ちをかける」という複合災害。それが現代の日本でも十分に起こりうるのだということを、このメカニズムの共通性は教えてくれています。

プレート境界型地震のメカニズムについて、さらに詳しく知りたい方はこちらの記事もご参考にどうぞ。 世界の地震とプレートの仕組みをわかりやすく解説

今すぐできるリスボン地震の教訓を活かした備え

家族でハザードマップを確認し避難計画を話し合う防災準備のイメージ

リスボン地震が残した教訓は、現代の私たちの「日常の備え」に直接つながっています。270年前のリスボンで何が足りなかったか——その答えが、今日の備えの出発点になります。

教訓①:揺れが止まっても、すぐに海・川・低地へ近づかない
リスボンでは、揺れを逃れた多くの人々が川岸や港へ避難し、その後の津波で命を落としました。大きな地震の後は必ず津波の可能性を考え、海岸・川沿いから離れた高台へ。「津波てんでんこ」——自分の命は自分で守るという教えを、家族で事前に確認しておきましょう。

教訓②:複合災害を想定した避難計画を持つ
「地震が来たらここに逃げる」だけでなく、「津波が来たら」「火災が起きたら」という複合的な想定で避難計画を立ててください。リスボン地震では三重の複合災害が発生しました。一つの想定だけに頼ることは危険です。

教訓③:科学的な防災情報を平時から確認しておく
リスボンでは宗教的権威が「祈れ」と呼びかけ、科学的な避難行動が遅れた面がありました。現代では気象庁の緊急地震速報や自治体のハザードマップという科学的ツールがあります。これらを事前に確認し、いざというときに使えるようにしておきましょう。

「正常性バイアス」に注意
「まさか自分の地域には来ないだろう」という思い込みが、避難の遅れを招きます。リスボンでは万聖節の朝という平和な日常が、まさかの大地震で一変しました。「ありえない」と思っていた事態が起きるのが災害です。ハザードマップで自分の地域のリスクを確認し、家族で避難ルートを歩いてみることを強くおすすめします。

防災の備えについて、歴史から学ぶ視点でまとめた記事もあります。 日本の大地震の歴史に学ぶ!過去の被害年表と未来への対策

まとめ:リスボン地震のメカニズムから学ぶ防災

1755年11月1日。万聖節の朝に起きたリスボン地震のメカニズムを振り返ると、270年という時を超えて、現代の私たちへの強いメッセージが届きます。

ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界で生じたMw8.5〜9.0の巨大地震は、地震・津波・火災という三重の複合災害をリスボンにもたらし、当時ヨーロッパ第4の大都市を壊滅させました。しかしその絶望の中から、ポンバル侯爵は世界初の国家的災害対応を実践し、耐震都市計画という人類の知恵を生み出しました。カントは地震を科学的に考察し、近代地震学の端緒を開きました。

そのメカニズムは、日本が直面している南海トラフ地震と驚くほど共通しています。プレート境界型の海溝型地震、巨大な津波、複合災害——これは「過去の話」ではなく「未来の私たちの話」です。

あの日を経験したからこそ、私は強く思います。備えは「知ること」から始まります。リスボンの人々が命をもって残してくれた教訓を、私たちは未来の命を守るために活かしていきましょう。

地震のメカニズムをもっと詳しく学びたい方には、こちらの記事もおすすめです。 地震の仕組みをわかりやすく解説!安全に備えよう

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

本記事は公的資料をもとに作成していますが、災害の記録は調査の進展により数値が変わることがあります。最新の正確な情報は各省庁・自治体の公式情報をご確認ください。また、掲載内容は特定の個人・団体を批判するものではなく、防災の教訓を共有することを目的としています。

リスボン地震が教えてくれた備え

リスボン地震から私たちが学べることは、「知識と行動」が命を左右するという事実です。

あなたの備えを今すぐ確認してください。

あなたの防災度チェック

  • [ ] 大きな揺れの後、津波の危険がある場所(海・川沿い・低地)から離れる行動をとれる
  • [ ] 地震・津波・火災の複合災害を想定した避難ルートを家族と確認している
  • [ ] 自治体のハザードマップで自宅・職場の津波リスクを把握している
  • [ ] 持ち出し袋が玄関にすぐ持って出られる状態にある
  • [ ] 家族全員で避難場所・連絡方法を確認している

リスボン地震の教訓は「逃げる準備は、逃げる前に整える」ことを示しています。HIHの防災リュックは、その「準備」をすぐ始められるように設計されています。

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🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得しHIH(Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

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この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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