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双葉病院と福島原発事故の記録|何が起き、何が変わったのか

家族で災害の備えについて話し合うアニメ調イラスト

双葉病院と福島原発事故の記録|何が起き、何が変わったのか

こんにちは。「ふくしまの防災 HIH ヒカリネット」防災士の後藤です。

2011年3月11日、私は福島でこの日を経験しました。あの日から15年以上が経つ今も、福島で生きる者として、あの出来事を語り継ぐことは自分の使命だと感じています。

今回取り上げるのは、双葉病院の記録です。東日本大震災と福島原発事故が重なったあの時、原発から約4.5キロに位置していた双葉病院で何が起きたのか。そして、その経験が今の防災・福祉の制度にどうつながっているのか。事実を丁寧に振り返りながら、私たちが今できる備えを一緒に考えていただければと思います。

過去の記録は、未来の命を守るための地図だと私は思っています。どうか最後までお読みください。

2011年3月11日。福島第一原発からわずか5kmの場所で、 45名もの寝たきり患者の方々が犠牲となった「双葉病院 置き去り事件」をご存知でしょうか。 避難指示、情報の混乱、そして不適切な搬送車両……。 複合災害の中で「最も弱い命」がどう扱われたのか。 この悲劇を二度と繰り返さないために、私たちはこの事実を決して忘れてはなりません。

目次

双葉病院と福島原発事故が残した記録

双葉病院とはどんな病院だったか

看護師が高齢患者を介助する病院のアニメ調イラスト

双葉病院は、福島県双葉郡大熊町にあった医療法人博文会が運営する精神科病院です。内科も診療しており、認知症の患者さんや合併症を抱えた高齢の患者さんが多く入院していました。常に点滴が必要な患者さんが20〜30人いたとされており、自力での移動が難しい方が多い施設でした。

2011年3月11日の東日本大震災発生当時、双葉病院には約330人台の患者さんが入院していたとされています。また、500メートルほど離れた場所には、同じく博文会が運営する介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があり、約98人の入所者がいたとされています。認知症や寝たきりの方も多く、避難の困難さを最初から抱えていた施設でした。

両施設は東京電力福島第一原子力発電所から約4.5キロの地点に位置していました。この立地が、後に大きな意味を持つことになります。

大熊町は原発の立地町として知られており、双葉病院は町の中心街から1キロもない場所にありました。普段は地域に根ざした医療を提供する施設だったのです。

原発事故発生と避難指示の経緯

避難する家族を描いたアニメ調イラスト

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生しました。双葉病院でもインフラがすべて停止し、電気・水道・ガスが一切使えなくなりました。院長の鈴木市郎氏らは、懐中電灯やろうそくを使いながら患者さんのケアを続けました。

翌12日午前5時44分、政府は福島第一原発から10キロ圏内の住民に避難指示を発令しました。大熊町全町民への避難指示も出されました。この段階で、病院にいるすべての患者さんと入所者が救出される予定でした。

12日午後、院長が早朝のうちに自治体に依頼していた観光バスで、歩くことができる患者さん200人超が第1陣として避難しました。しかし、ここで大きな問題が生じます。

第1陣の避難後、病院とドーヴィル双葉に残っていた患者・入所者と院長らは、次の救助隊を待って待機していました。ところが、情報共有の不備や指揮系統の混乱など複数の要因により、翌3月13日に予定された救助が行われませんでした。

避難が困難だった状況と背景

情報の断絶と複合災害の課題を示すアニメ調インフォグラフィック

なぜこれほど避難が難航したのでしょうか。この問いは、防災の観点から非常に重要です。

まず第一に、ライフラインの全断絶という問題がありました。電気も水道もガスも止まった状況で、常時点滴が必要な患者さんが多数いる。通常の病院搬送とはまったく異なる条件で対応しなければなりませんでした。

第二に、情報共有の不備と指揮系統の混乱です。残留者の情報が救助側に十分伝わらず、組織間の連携が機能しにくい状況がありました。大規模複合災害において複数の組織が同時に動く場合、このような情報の断絶は起きやすいことが後の検証でも指摘されています。

第三に、原発事故への対応が優先されたことや、道路・燃料の問題なども重なりました。当時、原発事故と大規模地震・津波が同時に発生するケースを想定した医療機関の避難計画は整備されていませんでした。こうした複数の要因が重なったことで、救助の遅れにつながったとされています。

「防災理科」的に見ると、これは「複合災害」の難しさそのものです。地震単体・原発事故単体の対応マニュアルはあっても、両者が重なった場合のシナリオが描けていなかった。この複合性への対応が、日本の防災制度が震災後に取り組んできた重要テーマのひとつです。

患者搬送をめぐる混乱と経緯

3月14日、ドーヴィルの入所者と双葉病院の一部の患者さんが自衛隊の車両で搬送されました。しかし長時間の搬送を余儀なくされ、車内で亡くなられた方もいました。搬送先の病院をあわせ、この時点で多くの方が命を落とされたとされています。

14日夜、院長と病院スタッフの方々は福島県警から避難を命じられ、残っている患者さんを残して病院の外に移動することになりました。院長は病院に戻ろうとしましたが、許可されなかったとされています。

残る患者さんは、3月15日以降、自衛隊によって搬送されました。すべての患者さんと入所者の避難が完了したのは、3月16日のことでした。最終的に、ドーヴィル双葉の入所者を含め多くの方が亡くなられました。報道・調査機関・司法手続きによって数値の記録に差があり、44人〜50人以上とされています。

院長と医療スタッフの方々は最後まで患者さんのケアのために行動していました。当時の報道には誤解を含む内容もあり、後に状況の複雑さが明らかになっています。福島県災害対策本部も後に内容を訂正しています。医療現場で懸命に対応された方々の記録は、正確に伝えなければなりません。

報道と事実のあいだにあったこと

噂と事実の違いを示すアニメ調イラスト

この出来事で、もうひとつ忘れてはならないことがあります。それは情報の混乱と報道の問題です。

避難の混乱のなか、医療関係者の対応に批判的な報道が出ました。しかし後の調査や検証によって、現場では複雑な状況があったことが明らかになっています。複数の組織間での情報の断絶、前例のない複合災害という状況——こうした背景を踏まえずに報じられた内容もあったとされています。

福島で震災を経験した私は、あの時期に情報がいかに錯綜し、正確な把握が難しかったかを知っています。だからこそ、歴史を振り返る際は「事実として確認されていること」と「当時の状況の難しさ」の両方を踏まえることが大切だと思っています。

当時の複合災害における情報伝達の限界は、その後の法制度や訓練のあり方に大きな影響を与えています。東日本大震災の帰宅困難者から学ぶ施設内待機と備蓄対策も、震災時の情報混乱を考える上でご参考ください。

双葉病院の教訓と福島原発事故が変えた防災

要支援者の避難を支援する様子のアニメ調イラスト

要支援者避難に残された課題

双葉病院の記録が私たちに問いかけるのは、「自力で避難できない人たちを、どう守るのか」という根本的な課題です。

2019年の台風19号で亡くなった方の約65%、2020年の九州豪雨で亡くなった方の約79%が65歳以上の高齢者でした(内閣府・消防庁資料より)。高齢者・障害者・医療依存度の高い方——いわゆる避難行動要支援者の避難は、今も日本の防災における最大の課題のひとつです。

「避難指示が出れば、誰かが助けに来てくれる」という前提は、大規模複合災害では成立しないことがあります。双葉病院の経験は、それを示した記録のひとつです。だからこそ、「平時からの準備」が命を救うのです。

特に医療機関や介護施設では、患者さん・入所者さんの医療情報を外部の救助者が把握していないケースが多くあります。どんな処置が必要か、どんな薬を飲んでいるか——この情報の連携なしに、安全な搬送は難しい。この教訓は今に生きています。

災害時の医療機関避難計画の変化

医療機関のBCP(事業継続計画)を示すアニメ調イラスト

双葉病院の経験を踏まえ、その後の日本では医療機関の災害対応計画(BCP)の整備が大きく進みました。

厚生労働省は2017年(平成29年)3月、災害拠点病院の指定要件を改正し、BCP(事業継続計画)の策定を義務化しました。BCP(Business Continuity Plan)とは、災害などの緊急事態が起きても医療機能を継続・早期回復するための計画です。

医療機関のBCPでは、①電気・水道など途絶を想定したライフライン対応策、②緊急時の職員連絡体制、③患者さんの医療情報の管理と共有方法、④他の医療機関・自治体との連携体制——などが計画されます。

熊本地震(2016年)でも、医療機関の機能低下が被害を広げたことから、BCP義務化への流れが加速しました。双葉病院の経験と熊本地震の教訓が、日本の医療防災の制度を動かしたといえます。

法制度・福祉避難所制度の整備

医療機関だけでなく、社会全体での要支援者避難の枠組みも大きく変わりました。

2013年の災害対策基本法改正では、市町村に避難行動要支援者名簿の作成が義務化されました。これにより、約99%の市町村で名簿が作成されるようになりました。しかし、名簿があっても実際の避難の実効性に課題が残りました。

そこで、2021年(令和3年)5月の災害対策基本法改正では、避難行動要支援者一人ひとりについて「誰が支援して」「どこに避難するか」を記載した個別避難計画の作成が、市町村の努力義務とされました(同法第49条の14)。

個別避難計画とは、要支援者の名前・住所だけでなく、「どういう状態のとき」「誰に連絡して」「どこへ避難するか」まで具体的に定めたものです。名簿から一歩進んだ、実践的な避難の設計図といえます。

また、2021年の改正では指定福祉避難所への直接避難の仕組み整備が進められました。高齢者・障害者など特別なケアが必要な方が、一般の避難所を経由せずに避難しやすくなるよう、受入対象者の事前特定・公示の制度が整えられています。これにより、要支援者が避難所で過ごす際の負担軽減が目指されています。

(出典:内閣府『災害対策基本法』防災情報のページ

家族や地域にできる要支援者への備え

家族で防災チェックリストを確認するアニメ調イラスト

制度が整っても、それが実際に機能するかどうかは、私たち一人ひとりの「平時の備え」にかかっています。あの日を経験したからこそ、私はそれを強く感じます。

家族の中に高齢者・障害者・医療依存度の高い方がいる場合、今すぐ確認してほしいことがあります。

【要支援者がいる家庭のチェックリスト】
・お住まいの市町村に「避難行動要支援者名簿」への登録申請をしているか
・個別避難計画の作成を市町村や担当ケアマネジャーと相談したか
・近隣の方と「いざというとき声をかけ合う」関係を作っているか
・常備薬・お薬手帳・医療情報カードを避難バッグにまとめているか
・停電時の医療機器(酸素・吸引機など)への対応を事前に病院と確認しているか

特に常備薬の管理とお薬手帳の携帯は見落とされがちです。避難先の医療機関で適切な処置を受けるために、薬の情報は命綱になります。処方箋の控えと、かかりつけ医の連絡先もあわせてまとめておくと、いざというときに大きな安心につながります。

また、「自分の親は元気だから大丈夫」と思っている方も、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。要支援者の状態は突然変わることがあります。今は一人で歩けていても、大きな災害のショックや環境の変化で状態が急変するケースは珍しくありません。だからこそ、元気なうちから「もしもの備え」を話し合っておくことが大切なんです。

地域のつながりも忘れないでください。日頃から自治会や町内会で要支援者の存在を把握し、避難訓練に組み込む取り組みが各地で広がっています。自治会の防災倉庫と共助の備えについての記事も、地域ぐるみの対応を考える際にご参考ください。

災害時の避難行動については、地震が起きた時に取るべき行動の記事でも場所別・時間軸別の行動指針を解説しています。要支援者と一緒に確認しておくことをおすすめします。

双葉病院の記録から学ぶ福島原発事故の教訓

教訓を胸に未来を見つめる人物のアニメ調イラスト

双葉病院で起きたことは、特定の誰かの失敗ではありませんでした。前例のない複合災害に、当時の制度・計画・情報連携がまだ追いついていなかった——そのことが、今に伝えるべき教訓です。

福島原発事故がなければ、あの避難は起きなかった。同時に、もし平時から複合災害を想定した計画や訓練、そして医療機関・自治体・救助機関の連携があれば、状況は変わった可能性があります。

「備えは平時にしかできない」——これが、双葉病院の記録が今の私たちに伝えていることだと思います。

2013年に要支援者名簿の作成が義務化され、2017年に医療機関のBCPが義務化され、2021年に個別避難計画が努力義務化された。これらは、あの経験が制度を動かした証です。私たちにできることは、その制度を「絵に描いた餅」にしないことです。

今日からできる3つのアクション
① 家族の中の要支援者を市町村の避難行動要支援者名簿に登録する
② ケアマネジャーや民生委員に個別避難計画の作成を相談する
③ 近隣住民と「いざというとき声をかけ合う」約束をしておく

過去の記録を学ぶのは、批判するためではなく、同じ苦しみを繰り返さないためです。双葉病院で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしながら、その記録を防災の力に変えていきたいと思っています。

数値データはあくまで一般的な目安です。正確な情報は公式サイトでご確認ください。最終的な判断は専門家にご相談ください。

本記事は公的資料をもとに作成していますが、災害の記録は調査の進展により数値が変わることがあります。最新の正確な情報は各省庁・自治体の公式情報をご確認ください。また、掲載内容は特定の個人・団体を批判するものではなく、防災の教訓を共有することを目的としています。

🛡️ 防災士監修記事

後藤 秀和(ごとう ひでかず)

防災士/株式会社ヒカリネット 代表取締役

2011年3月11日、東日本大震災を福島で経験。「あのとき備えていたら」という後悔をなくすため、防災士資格を取得し、防災ブランド HIH(エイチアイエイチ/Hope is Here)を設立。防災セット累計出荷20万個超、法人導入実績300社以上。

この記事を書いた人

後藤 秀和(ごとう ひでかず)|防災士・株式会社ヒカリネット 代表
福島県で東日本大震災を経験したことをきっかけに、防災士の資格を取得。
被災経験と専門知識をもとに、本当に役立つ防災用品の企画・販売を行っています。
運営するブランド「HIH」は、個人家庭だけでなく企業・団体・学校にも多数導入され、全国の防災力向上に貢献しています。
被災経験者としてのリアルな視点と防災士としての専門性を活かし、安心・安全な備えを提案しています。

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