経験者が語る「災害時になくて困ったもの」


株式会社ヒカリネット 防災士 後藤秀和
あの日の教訓と防災士としての誓い
私はこの美しい福島という土地に生まれ育ち、日々の生活を送っています。そして同時にあの未曽有の大災害、東日本大震災を身をもって経験し、その教訓を未来に繋ぐことを使命とするプロの防災士でもあります。
2011年3月11日、午後2時46分。それまで当たり前に享受していた「日常」という名の地盤が、一瞬にして崩壊しました。あの激しい揺れと、その後に続いた長く暗い停電と寒さ、そして情報が途絶したことによる深い不安は、今も鮮明に心に焼き付いています。
災害から十年以上が経過した今、多くの人々が防災への意識を高めていますが、実際に被災した私たちだからこそ伝えられることがあります。それは、「想像していたよりも、遥かに多くのものが足りなかった」という厳しい現実です。
テレビや行政の広報で示される防災リストは、あくまで最小限の「命を繋ぐ」ためのものです。しかし、被災生活は一日で終わりません。数日、数週間、あるいは数ヶ月に及ぶその生活の中で、私たちは「命」だけでなく、「尊厳」や「健康」、「希望」までを維持するために、様々なものが必要となることを痛感しました。
本稿では、私自身の被災体験と、その後の防災士としての専門的な視点から、「災害時になくて困ったもの」というテーマを深掘りし、皆様の命と生活を守るための具体的な教訓としてお伝えします。
生活の根幹を奪われた瞬間 — 真っ先に困窮したもの

震災発生直後、私たちはまず「生活の根幹」を奪われました。電気、ガス、水道、そして通信。ライフラインの途絶は、現代社会において最も恐ろしい災害の一つです。特に、この途絶が長期間に及ぶことで、私たちは予想外の「もの」の欠如に直面しました。
水と食料:想定外の期間と必要量
防災備蓄の鉄則として、水と食料は「最低3日分」が推奨されていました。しかし、東日本大震災の被害規模と、その後の物流の混乱、道路の寸断を鑑みると、この「3日」という期間が、いかに現実離れした数字であったかを思い知らされます。
私が住んでいた地域では、水道が安定し始めたのは、震災から一週間以上経ってからでした。当然スーパーやコンビニは全て休業中です。
ここで痛感したのは「飲料水」と「生活用水」の区別と、「量」の不足です。
- 飲料水: 3日分どころか、最低でも7日分(一人一日3リットル×7日=21リットル)は必要です。ペットボトルでの備蓄はもちろん、長期保存可能なウォーターサーバーの利用なども考えるべきです。
- 生活用水: トイレ、手洗い、食器洗いなど、飲料水とは別に、膨大な量の水が必要です。マンションの高層階では、断水と同時にトイレが使えなくなり、バケツでの運搬すら困難になります。給水タンクやポリタンクの備えは、想像以上に重要です。また、これらを蓄えるための大きなバケツや、給水所の情報も不可欠でした。
食料についても同様です。缶詰等で命を繋ぎましたが、栄養の偏りや、温かい食事ができないことによる精神的な疲弊は大きかったです。「カセットコンロとガスボンベ」は、温かい食事を提供し、避難生活に一筋の光を与えてくれる、文字通りの救命アイテムです。ガスボンベは、想像以上のスピードで消費されるため、多めの備蓄(10本以上)が必須です。但し、必ず使用期限のチェックを定期的に行ってください。また、自治体によっては未使用ボンベの処分が非常に困難な場合もあります。カセットコンロはその点が大きなネックです。
トイレ問題:清潔と衛生の危機
災害時、「なくて困ったもの」の筆頭に挙げられるのが「トイレ関連用品」です。特に、断水が長期化すると仮設トイレが設置されるまでの間、自宅のトイレが使えなくなります。避難所でもトイレの数が限られ、衛生状態が悪化しました。
この時、本当に必要性を痛感したのは以下の三点です。
- 携帯トイレ(凝固剤付き): 水がなくても使える凝固剤入りの排泄処理袋は、避難生活における尊厳の維持と感染症予防の生命線です。家族全員が数日間使えるよう、最低でも30回分は備蓄すべきでした。
- トイレットペーパー: これは日常品ですが、災害時は貴重品です。水に溶けるため、生活用水の節約にも繋がります。多めのストックは必須です。
- ウェットティッシュ・除菌シート: 断水で手洗いが十分にできない状況で、除菌シートは非常に重要な衛生管理用品となりました。特に食中毒や感染症が懸念される避難所では、なくてはならないものでした。アルコール入りのものは、汎用性が高くなります。
トイレの問題は、単に排泄の問題に留まりません。衛生環境の悪化は、あっという間に健康被害に直結します。プライバシーのない避難所生活の中で、排泄を我慢することからくる体調不良や精神的ストレスも深刻でした。
避難生活の現実と「寒さ」という大敵

東日本大震災が発生した3月は福島ではまだ寒さが残る季節でした。3月11日の夕方、雪がちらついたのを今でも覚えています。家屋の損壊や津波から逃れるため、多くの人々が体育館や公民館といった「避難所」での生活を余儀なくされました。ここで直面したのは、物理的な「寒さ」と、環境的な「寒さ」です。
避難所の環境とプライバシーの欠如
避難所は本来、人を一時的に受け入れるための場所であり生活の場としては設計されていません。冷たい床、広大な空間を区切るものが何もない状態、そして数百人規模の人々との共同生活。これが、避難生活の現実でした。
ここで困ったのは、「プライバシーの確保」です。
- 仕切りとなるもの(テント、段ボール、ブルーシート): 避難所の初期段階では、仕切りとなるものがほとんどなく、個人や家族の空間がありませんでした。周囲の目や音を気にせず、着替えや休息をとることは極めて困難で、精神的な疲弊を加速させました。簡易的なテントや、段ボール等のパーテーションは、心を守るための重要な必需品となりました。
- 耳栓とアイマスク: 集団生活では、他人のいびきや話し声、夜間の光が避けられません。満足な睡眠がとれないことは、体力と免疫力の低下に直結します。耳栓とアイマスクは、安眠を確保し、健康を維持するために非常に有効でした。
保温の重要性:体温低下と体力消耗
東北の体育館の床は、芯から冷え切っています。暖房器具は限られ、燃料も不足しがちでした。この寒さで体調を崩す人が多数いました。
災害時の寒さは、単に不快なだけではありません。体温の低下は、体力と免疫力を奪い、災害関連死のリスクを高めます。
防寒具と寝具の欠乏:寒さと硬さとの闘い
避難指示が出たとき、私たちは上着こそ着ていましたが、十分な防寒対策はできていませんでした。避難所での生活が長期化するにつれて、「体温を保つため」のものが、命綱となりました。
- 毛布・寝袋・防寒着の不足: 支援物資が届くまでは、自前の服や持参したタオルで寒さを凌ぐしかありませんでした。避難所には毛布や寝袋のストックがあるはずですが、被災者数の多さに比べて絶対数が足りませんでした。自宅が無事なら、寝袋や、真冬用のダウンジャケットをすぐに持ち出せるようにしておくべきです。
- 断熱シート・アルミシート: 冷たい床からの冷気を遮断するアルミ製のシートは、体感温度を劇的に改善してくれました。これはコンパクトで軽量なため、防災リュックに必ず入れておくべきアイテムです。
- カイロ:使い捨てカイロは、局所的に体温を上げるのに非常に役立ちます。特に、背中や腹部、首筋を温めることで、全身の体温低下を防げます。備蓄食料と同じく、多めに備蓄しておくべきでした。
- 硬さ対策(マットや座布団): 体育館の床は硬く、長時間寝ると全身が痛くなります。これが原因で、腰痛や関節痛が悪化する高齢者も多くいました。エアマットや、厚手のウレタンマット、あるいは簡易的な座布団などは、体を休めるために絶対に必要でした。
寒さ対策は、単なる快適さの問題ではなく、健康管理、ひいては命の問題です。避難生活で最も消耗するのは体力と気力であり、質の高い睡眠と温かい環境は、それを維持するための必須条件となります。
情報と心のケア — 見落とされがちな必需品

ライフラインが途絶した時、私たちを不安のどん底に突き落としたのは、「情報がないこと」でした。そして、情報がないことと同じくらい、精神的な疲弊も深刻な問題でした。災害時、「心」と「情報」を守るためのアイテムは、往々にして見落とされがちですが、被災を経験した私から見れば、これらは物理的な必需品と同じくらい重要です。
情報源の確保:ラジオとバッテリー
停電により、テレビやインターネットといった主要な情報源は使用不能になりました。デマが飛び交い、不安が増幅する中で、正確な情報へのアクセスは、人々の冷静さを保つ生命線となりました。
- 手回し充電ラジオ(スマートフォン充電機能付き): これが、被災地における情報収集の最重要アイテムです。電池切れの心配がなく、正確な被災状況、安否情報、支援物資の到着状況、そして今後の天気予報や余震情報などを得ることができました。さらに、スマートフォンを充電できる機能があれば、家族や知人との連絡手段を確保できます。
- モバイルバッテリー(大容量・複数): スマートフォンは、家族との連絡、情報収集、そして災害伝言ダイヤルの利用に不可欠です。例え通電していても、避難所のコンセント数は限られており、満足に充電ができません。大容量のモバイルバッテリーを複数個用意し、日常的に充電しておくことが重要です。また、ソーラー充電や手回し充電器と組み合わせることで、より安心感が増します。
- 電池(単三・単四): ラジオや懐中電灯、様々な機器の電源となる電池は、災害発生から数日で売り場から姿を消しました。汎用性の高い単三・単四電池は、日常の備蓄とは別に、非常用として多めに用意しておくべきでした。また、最初に無くなったのは単一電池です。単一、単二を使用する防災用品は避けましょう。
ストレスと心のケア:娯楽品と筆記用具
極限状態での避難生活は、大人であれ子どもであれ、計り知れないストレスを与えます。特に、子どもたちは環境の変化に敏感で、彼らのストレスケアは家族全体の平穏に直結します。
- 娯楽用品(トランプ、本、おもちゃ): 電気がなく、やることが限られる避難生活の中で、トランプや簡易的なボードゲーム、子ども向けの色鉛筆やノートなどは、気分転換とコミュニケーションの手段として大変重宝されました。特に、絵本や塗り絵は、幼い子どもたちの心の安定に役立ちました。
- 筆記用具とメモ帳: 連絡先や重要な情報を書き留める、あるいは安否確認の伝言を残すために、油性マジックとメモ帳は必要でした。また、避難所の運営や物資管理にも、これらは必須の道具です。
- 家族の写真: スマートフォンが使えない、充電が切れた、という状況で、家族の写真を見ることは、精神的な安定と生きる希望を繋ぎとめる上で、かけがえのないものでした。また、捜索時に見せることで、面識のない人でも有力な情報源になってくれます。プリントして防災リュックに入れておくことを強くお勧めします。
個人情報と連絡手段:保険証・通帳のコピー
災害後に生活を再建し、支援を受けるためには、身分証明書や重要書類が不可欠です。これらを全て持ち出すことは困難ですが、コピーだけでも手元にあると、その後の手続きが格段にスムーズになります。
- 重要書類のコピー(またはデータ): 運転免許証、健康保険証、マイナンバーカード、通帳、契約書類などのコピーを、防水性の高い袋に入れ、防災リュックに入れておくべきでした。可能であれば、これらをクラウドサービスにアップロードしたり、USBメモリに保存したりしてデータのバックアップをとっておくことも、非常に有効です。
衛生と身体のケア — 備えあれば憂いなしのアイテム

災害時の避難生活が長期化するにつれ、次に大きな問題となるのが「健康と衛生の維持」です。特に、集団生活による感染症のリスクの高まりや、持病を持つ方々の医療アクセス途絶は、命に関わる深刻な課題となりました。
私自身の経験を通じて、特に「なくて困った」と強く感じる、衛生と身体のケアに関するアイテムを挙げます。
女性・乳幼児・高齢者:特別なニーズへの備え
災害対策は、「万人に共通のリスト」だけでは不十分です。女性、乳幼児、高齢者、障害を持つ方々など、特別な配慮が必要な人たち(要配慮者)のための備えは、極めて重要であり、その物資は初期の支援物資が届くまで、ほぼ完全に不足しました。
- 生理用品: 女性にとって、生理用品の確保は衛生管理と精神的な安定に直結します。避難所での配布は遅れがちで、個人の備蓄が生命線となりました。通常の生活で使用するものよりも多めに、最低1周期分、できれば2周期分の備蓄が必要です。
- 赤ちゃん・乳幼児用品: 粉ミルク、紙おむつ、おしりふき、離乳食などは、大人用の物資で代用が効きません。特に液体ミルクは、調乳の手間がなく衛生的で、断水時にもそのまま飲めるため、非常に重宝されました。月齢に合わせた備蓄と、アレルギー対応食も視野に入れるべきです。
- 大人用おむつ・介護用品: 高齢者や要介護者にとって、大人用おむつ、清拭用のウェットタオル、床ずれ防止マットなどは不可欠です。これらがないことで、介護者の負担が増大し、当事者の尊厳が大きく傷つけられます。家族の介護状況に応じた十分な備蓄が必要です。
怪我と持病:医薬品と救急箱
震災直後、救急隊や医師がすぐに辿り着けない状況が長く続きました。この時、自分の命と健康を守れるのは、自分自身だけでした。
- 常備薬(多めに): 高血圧や糖尿病など、持病の薬を服用している方は、薬が途切れると命の危険があります。医師や薬剤師と相談し、通常よりも多め(最低2週間分)の薬を確保し、防災リュックに入れておくべきでした。お薬手帳のコピーも必須です。
- 総合的な救急箱: 避難生活では、予期せぬ小さな怪我(切り傷、擦り傷、やけどなど)が増えます。消毒液、絆創膏、ガーゼ、包帯、痛み止め、胃腸薬、風邪薬、そして体温計など、多様なニーズに対応できる総合的な救急箱を準備しておくべきでした。
- マスク: 集団生活では、咳や埃による感染症リスクが高まります。また、粉塵が舞う被災地での作業時にも、マスクは肺を守るために不可欠です。汎用性の高い不織布マスクを多めに備蓄すべきでした。
感染症対策と清潔の維持
断水と集団生活は、衛生環境を急速に悪化させます。感染症の拡大は、被災地全体のリスクを高めます。
- ドライシャンプー: 断水で入浴や洗髪ができない日が続くと、不快感だけでなく、皮膚病や頭皮の衛生問題も発生します。水を使わないドライシャンプーは洗浄性には期待できませんが、リフレッシュする上では非常に有効です。
- ゴミ袋(不透明の黒、大容量で厚手のもの): 災害時はゴミ収集が機能しないため、ゴミは避難所で溜まり続けます。黒の大きなゴミ袋は、ゴミの保管だけでなく、雨具、防寒対策、目隠し、そして簡易的なトイレの処理袋としても使える、汎用性の高い超重要アイテムです。透明の利点が無いため不透明の黒を多めに用意すべきでした。
- 石鹸・ハンドソープ: 手洗いは感染症予防の基本ですが、断水により、通常の石鹸が使えない場合がありました。アルコール除菌ジェルや、水なしで使えるハンドソープも合わせて備えるべきです。
結論:被災経験者が語る教訓

福島で東日本大震災を経験し、その後防災士として活動してきた私の経験から、「災害時になくて困ったもの」を、生活の根幹から、心と体のケア、そして復興の段階に至るまで詳細にお伝えしました。
「あっても困らない」から「なければ生きていけない」ものへ
防災の備えは、単に「命を繋ぐ」だけでなく、被災後の生活の質、つまり「人間の尊厳」を守るためにあります。トイレットペーパー、生理用品、乾電池、ガムテープ、そしてプライバシーを守るための仕切りなど、日常では安価で当たり前にあるものが、災害時には「なければ生きていけない」ものへと変貌するのです。
そして、これらの教訓から導き出される備蓄の原則は、以下の二点に集約されます。
- ローリングストックの徹底: 水や食料、乾電池、カセットガスボンベ、生理用品など、日常的に消費するものを「少し多めに購入し、古いものから使って補充する」というローリングストックを徹底し、常に賞味期限が近いものを消化しながら、備蓄を維持すること。
- 備蓄場所の分散: 物資を「自宅」だけに集約せず、自宅、職場、車などに分散して備蓄すること。特に地震や津波で自宅が損壊・流失した場合、自宅の備蓄は無力となります。
必ず防災リュックも用意しておく
これまでに述べてきた膨大な「なくて困ったもの」のリスト。これらを全て準備するのは大変なことかもしれません。しかし、全てを網羅できなくとも、最悪の事態に備えるための行動だけは、今すぐにでも始められます。
災害は、いつ、どこで発生するかを選べません。自宅にいる時かもしれないし、通勤・通学中、あるいは旅行先かもしれません。
- 自宅が倒壊した、火災が起きた、津波が迫ってきた――
- 家族と離れ離れになって、会社から帰宅できない――
- 避難所に身一つで逃げ込むしかなかった――
このような、「家に戻れない」あるいは「家の備蓄が使えない」という最悪のケースに備え、命と最低限の生活を守るための初期装備を確保することも重要です。
その初期装備を格納し、瞬時に持ち出すための手段こそが、防災リュックです。
自宅の備蓄庫に「3日分」「1週間分」の食料や水、毛布があっても、それが自宅の奥まった場所にあれば、いざという時、慌てて取り出している時間はありません。
命に関わる非常時の持ち出し品(水、食料、ラジオ、ライト、常備薬、重要書類のコピー、現金、生理用品など)だけは、一人一つ、いつでも持ち出せる防災リュックにまとめて玄関や寝室に置いておくことが、あなたとあなたの大切な家族の命を守る最初の、そして最も重要な行動となるのです。
