東日本大震災 小学生向け解説: あの日、何が起きたか

東日本大震災 小学生向け解説: あの日、何が起きたか
「東日本大震災 小学生向け」のこの記事では、あの日何が起きたかを分かりやすく解説します。2011年3月11日の午後、巨大な地震はいつ起きたか、そしてどこで起きたのか、気になりますよね。なぜあんなに大きな地震が起こったのか、そのメカニズムから、津波ってどうしておこるのか、その仕組みもお伝えします。また、どんな被害があったのかという事実や、そのとき人々はどう行動したのかという教訓的な事例にも触れます。これらの経験から東日本大震災から学んだことは、あの日をわすれず、備えることから未来を守るためにとても大切です。ぜひ、おうちの人と話してみようというきっかけにしてください。
この記事を読むことでわかること
- 東日本大震災の発生日時や規模、そして被害の全容について理解が深まる
- 津波や巨大地震が発生したメカニズムを平易な言葉で把握できる
- 災害時に命を守るための避難の教訓や、当時の人々の行動を学べる
- これから私たちが災害に備えるための具体的な方法がわかる
東日本大震災 小学生向けに何が起きたか知ろう

- 大地震はいつ起きたか知ろう
- どこで起きたのか、震源地と規模
- なぜあんなに大きな地震が起こった?
- どんな被害があったのか数字で確認
- 津波の恐ろしさとその高さを学ぼう
- 忘れてはいけない原発事故とは
大地震はいつ起きたか知ろう

東日本大震災を引き起こした地震は、正式には「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」という名前です。この地震が発生したのは、平成23年3月11日(金)の午後2時46分でした。
多くの人が学校や会社にいる平日の午後に、非常に大きな揺れが突然襲ってきたのです。この地震による揺れはとても広く、東北地方だけでなく、関東地方でも大きな揺れを感じました。
日本国内で観測された最も大きな揺れは、宮城県栗原市で観測された「震度7」です。
【震度7の揺れの大きさ】
気象庁の情報によると、震度7というのは、立っていることができず、はうようにしないと動くことができないほどの揺れです。屋内では固定していない家具のほとんどが移動したり、倒れたり、飛んだりすることもあります。つまり、命を守るためにすぐ行動しなければ、家具の下敷きになる危険があるほどの激しい揺れだとされています。
どこで起きたのか、震源地と規模
この巨大な地震の震源地は、東北地方の沖合にある三陸沖の約130km付近で、深さはおよそ24kmでした。海の下、プレートと呼ばれる大きな岩盤がぶつかり合っている場所で起きた「海溝型地震」です。
この地震の規模は、マグニチュード(M)で表すと、M9.0という非常に大きなものでした。これは、日本で地震の観測が始まって以来、観測史上最大の規模です。
マグニチュード9.0の地震は、1900年以降世界でも4番目の規模の地震でした。地震のエネルギーがどれほど大きかったか想像できますね。
東北地方太平洋沖地震による災害と、それに伴う原子力発電所事故による災害をまとめて、「東日本大震災」と呼んでいます。
なぜあんなに大きな地震が起こった?

地球の表面は、いくつかの大きなプレートという岩盤に分かれていて、それらが少しずつ動いたり、ぶつかり合ったりしています。日本の周辺では、海のプレートが陸のプレートの下に沈み込んでいます。このとき、陸のプレートが引きずり込まれ、限界に達して跳ね上がると地震が発生します。
多くの地震は、プレート境界の深い場所で起こると想定されていました。しかし、この東日本大震災では、プレート境界の浅い部分も同時に大きくずれ動いたことが、M9.0という想定を超える巨大な地震になった理由だと考えられています。
巨大地震が発生する場所は、過去の地震の記録からある程度予測されていましたが、東日本大震災の震源域は過去数百年の地震発生履歴から予想されていなかった範囲まで広がってしまいました。そのため、従来の防災対策では間に合わないほどの大きな津波が発生しました。
どんな被害があったのか数字で確認

東日本大震災では、地震の揺れによる被害だけでなく、その後に押し寄せた津波によって、とても大きな被害が生じてしまいました。ここでは、被害の大きさを数字で確認してみましょう。
甚大な人的被害と建物被害
とくに津波の被害が大きかった岩手県、宮城県、福島県の沿岸部を中心に、多くの命が失われ、多くの家が壊れました。
| 被害の分類 | 詳細 | 人数・棟数 |
|---|---|---|
| 人的被害 | 死者 | 19,747名 |
| 人的被害 | 行方不明者 | 2,556名 |
| 人的被害 | 負傷者 | 6,242名 |
| 建物の被害 | 全壊(全部壊れた) | 122,005棟 |
| 建物の被害 | 半壊(半分壊れた) | 283,156棟 |
| 建物の被害 | 一部破損(一部壊れた) | 749,732棟 |
これらの数字は、多くの人の生活が突然壊されてしまったという事実を物語っています。(参照:緊急災害対策本部資料)
津波の恐ろしさとその高さを学ぼう

東日本大震災の被害の約9割は、地震の揺れではなく、津波によるものだといわれています。亡くなった人の90%以上が津波による溺死と確認されていることから、津波の脅威がどれほど大きかったかがわかります。
津波のスピードと高さ
津波は私たちが普段海で見る波とは違い、「海そのものが動く」ような強い力を持っています。海の深い場所では、ジェット機と同じくらいの速さ(時速約800km)で伝わります。浅い場所に近づくとスピードは落ちますが、それでも時速約40km(車と同じくらい)の速さで陸に向かってきます。そのため、見てから逃げ始めては間に合わないのです。
【観測された津波の高さ】
津波は場所によって山をかけ上がり、非常に高くなりました。観測された主な高さは次の通りです。
- 宮城県女川漁港での津波痕跡:14.8m
- 福島県相馬での観測:9.3m以上
- 岩手県宮古での観測:8.5m以上
また、宮城県牡鹿半島は、地震により水平方向に約5.3m移動し、約1.2mも沈降しました。地盤が沈んだため、わずかな津波でも浸水しやすくなってしまったのです。
津波による浸水範囲の合計は、約561㎢にもなり、これは山手線の内側の面積の約9倍という広大な範囲でした。津波は想像を遥かに超える高さと速さで、内陸深くまで押し寄せたという事実をわすれないことが大切です。
忘れてはいけない原発事故とは

東日本大震災では、地震と津波による被害に加えて、福島県双葉郡にある東京電力福島第一原子力発電所で、非常に深刻な事故が発生しました。巨大な津波によって発電所のすべての電源系統が壊れてしまったことが原因です。
電気が止まったことで、原子炉を冷やすことができなくなり、燃料が溶け落ちる「炉心溶融」や「水素爆発」が発生してしまいました。この事故は、国際的な評価尺度で最も深刻な「レベル7」とされています。
【原発事故の影響と注意点】
この事故により、放射性物質が広範囲にまき散らされ、多くの自治体で住民が避難を余儀なくされました。一時的に避難した人は最大時で12万人にも上ると推定されています。原子力発電所の事故は、数十年単位で影響が残る非常に大きな災害です。私たちは、この経験から原子力と災害リスクについて深く考え続ける必要があります。
この複合的な災害は、地震、津波、そして原発事故という、複数の脅威が同時に襲いかかってきた、非常にまれなケースでした。

命を守る!東日本大震災 小学生向けに伝える教訓

- 避難生活での大変だったこと
- そのとき人々はどう行動したのか
- 東日本大震災から学んだこと
- これから私たちが備えるべきこと
- 東日本大震災 小学生向けに伝える防災の未来
避難生活での大変だったこと

地震や津波で自宅が壊れたり、危険になったりした人々は、主に自宅の近くにある学校などに設けられた「避難所」で生活をしました。この避難所での生活は、非常に不自由で大変なものでした。
止まってしまったライフライン
震災後、私たちの生活に欠かせない電気、ガス、水道、通信などのライフラインがストップしてしまいました。電気が点かないため夜は真っ暗になり、テレビも見られず、携帯電話の充電もできません。3月の寒い時期だったため、暖房器具が使えないことも大きな問題でした。
水が出ないため、飲み水やトイレ、お風呂、炊事などに使う水を求めて、給水車には非常に長い行列(長蛇の列)ができました。また、道路や港、空港が壊れたため、食べ物や飲み物、ガソリンなどの物資の不足も深刻でした。製油所が被災したため、ガソリンが不足し、自治体の緊急車両の燃料まで足りなくなる事態になったのです。
【避難所での助け合い】
避難所では、大人だけでなく子供たちも、力仕事や掃除の手伝いをするなど、避難所のみんなを助けようと行動する姿が見られました。困難な状況の中で、年齢に関わらず協力し合うことが大切であることを教えてくれます。
そのとき人々はどう行動したのか

東日本大震災では、多くの方が災害の脅威に直面しましたが、一方で、多くの命が救われた感動的な事例もたくさんあります。
「釜石の奇跡」に学ぶ
岩手県釜石市では、津波によって大きな被害を受けた町にもかかわらず、ほとんどの小・中学生が無事に避難することができました。これは「釜石の奇跡」と呼ばれています。
地震発生後、中学生が「津波だ、逃げろ!」と叫びながら高台を目指し、それ見た小学生も続いて走り始めました。彼らは日頃の訓練で避難する場所(高台)にたどり着いた後も、周りの人からのアドバイスや自分たちの判断で、「もっと高い場所へ」と何段階にもわたって避難を続けたのです。泣きじゃくる小学生の手を引いて励ます中学生の姿も見られ、リーダーシップと冷静な判断が命を救いました。
この経験は、「津波てんでんこ」という教えの通り、「自分の命は自分で守る」という強い意識と、周りの人を助けようという行動力がいかに大切かを教えてくれます。
世界中からの支援「トモダチ作戦」
このような状況の中、日本中、そして世界中から温かい応援メッセージや支援物資、医療支援が寄せられました。例えば、アメリカ軍は「トモダチ作戦」と名付けた大規模な支援活動を実施しました。行方不明者の捜索や、壊れてしまった仙台空港の復旧支援など、多岐にわたる活動が行われ、被災地を支えてくれました。
東日本大震災から学んだこと

この巨大な災害の経験から、日本は多くの教訓を得ました。最も重要なことは、「想定外は起こる」ということを知り、従来の備えでは不十分であると認識したことです。
防災体制の強化と法整備
津波による被害を教訓として、以前の法律よりも幅広い津波に備えられるように「津波防災地域づくりに関する法律」が制定されました。国や自治体は、防災拠点の耐震性能を向上させたり、避難場所を津波の脅威を考慮して選んだりするなど、地域全体の防災体制を強化しています。
企業においても、地震や津波、原発事故といった複数の災害が同時に発生した場合でも事業を継続できるようにする「BCP(事業継続計画)」の活用が重要視されるようになりました。
また、東日本大震災では通信基地局の損壊などで電話が通じない事態が長く続きました。そのため、災害時に関係各所と連携するために、通信手段を複数用意する「多重化」が必須の防災対策の一つだと学んでいます。
これから私たちが備えるべきこと

東日本大震災の教訓を未来に生かすためには、「もしも」の時にすぐに動けるよう、日頃から準備しておくことがとても大切です。
ハザードマップで危険を知る
まずは、自分たちが住んでいる地域で「どんな災害が起こる可能性があるのか」を知ることが重要です。各自治体から配付されるハザードマップには、津波の浸水が予想されるエリアや、安全な避難場所が記されています。おうちの人と一緒に確認し、避難場所といくつかの避難経路をチェックしておきましょう。川沿いの道は津波がさかのぼってくる危険があるため、避難経路には選ばないようにしてください。
【命を守る3つの行動】
津波から命を守るためには、地震を感じたら次の3つの行動を迷わず実行してください。
- すぐに行動する: 「津波てんでんこ」の精神で、まわりの人にとらわれず、自分の命を守るためにすぐに逃げる。
- 高い場所へ逃げる: 逃げるときは高さを優先し、高台や津波避難ビルなど、近くの最も高い場所へ向かう。
- 絶対に戻らない: 忘れ物を取りに家に戻るのは絶対に危険。警報や避難指示が解除されるまで安全な場所で待つ。
防災グッズの準備と家族会議
水や食料、懐中電灯、簡易トイレなど、避難した後に役立つ防災グッズを準備することも大切です。また、家族がバラバラの場所にいるときに地震が起きた場合、どこに避難するか、どうやって連絡を取り合うかを家族で話し合って決めておくと安心です。スマートフォンを持っている人は、地震や津波の情報がすぐに届く防災アプリを活用する習慣をつけましょう。
東日本大震災 小学生向けに伝える防災の未来
東日本大震災の経験は、私たちがこれからも安全に暮らしていくための大切な教訓となりました。この経験を忘れず、未来に生かすために、この記事でお伝えした要点をもう一度確認しましょう。
- 東日本大震災は2011年3月11日午後に発生した観測史上最大の地震だった
- 震源地は三陸沖で、想定を超える浅いプレートのずれが巨大地震を引き起こした
- 死者の90%以上が津波による溺死であり、津波の脅威が最大であった
- 津波は時速約40km(車並み)の速さで押し寄せ、見てから逃げると間に合わない
- 宮城県女川漁港では14.8mの津波痕跡が確認されている
- 福島第一原発では津波による全電源喪失で炉心溶融などの大事故が発生した
- 電気、ガス、水道などのライフラインが止まり、避難所での生活は非常に困難を極めた
- 道路や港の破損により、食料やガソリンなどの物資不足が深刻化した
- 釜石市では中学生がリーダーシップをとり、多段階避難で多くの命が救われた
- 「津波てんでんこ」の教えは、自分の命を自分で守る行動の大切さを示す
- アメリカ軍による「トモダチ作戦」など、世界中から多くの支援が寄せられた
- この震災を教訓に、より強い津波に備える法整備や地域防災計画が進められた
- 私たちは日頃からハザードマップを確認し、避難場所と経路を決めておく必要がある
- 防災グッズの準備と、離れた時の連絡方法を家族で話し合うことが大切である
- 東日本大震災 小学生向けに、命を守るための知識を伝え続けることが防災の未来となる

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