非常持ち出し袋 経験者が考える本当に必要なもの

生死を分ける「最初の72時間」を生き抜くために
株式会社ヒカリネット 防災士 後藤秀和

私は2011年3月11日のあの日、東日本大震災を経験しました。自宅が激しく揺れ、停電、断水、そして津波の恐怖、原発事故の不安に晒されたあの日々は、私にとって「防災」という言葉の重みを根底から変えるものでした。
私は、あの体験を単なる過去の記憶として風化させるわけにはいかない、という強い使命感から、防災士として活動しています。震災直後の避難所生活で「非常持ち出し袋」の中身が避難生活の質を決定づける様を目の当たりにしてきました。
防災用品のリストは世の中に溢れています。しかし、カタログスペックだけで選ばれた「理想のリスト」と、実際の極限状況で役立つ「経験者が考える本当に必要なもの」との間には、深い溝があります。本稿では、12年以上の時を経て、私が何度も見直し、アップデートを重ねてきた「非常持ち出し袋」の中身を、「最初の72時間」を生き抜くという具体的目標に基づいて、徹底的に解説していきます。
この文章は、単なる「持ち物リスト」ではありません。極限状況下での「判断の助け」であり、「命綱」であり、そして「家族への愛の証明」です。
「非常持ち出し袋」— 経験者が語る3つの原則

非常持ち出し袋、いわゆる「防災リュック」は、ただの荷物入れではありません。自分と家族の命、健康、そして精神的な安定を守るための知恵と道具を詰め込んだものです。
私が経験に基づき、最も重要だと考える「3つの原則」から話を始めましょう。
原則1:最優先は「自己完結力」(サバイバビリティ)
東日本大震災では、広域かつ複合的な被害が発生し、行政の機能が麻痺しました。支援物資が届くまでに数日、場合によっては一週間以上かかる地域もありました。つまり、「誰かが助けに来てくれる」という前提は通用しないのです。
非常持ち出し袋の最大の目的は、「最初の72時間(3日間)を、外部の援助なしに生き抜く」ための自己完結力を確保することです。この72時間が生存率を大きく左右します。
原則2:重量と携行性の「境界線」
どんなに完璧なリストを作っても、持ち運べなければ意味がありません。震災後、避難時に荷物が重すぎて、途中で断念したり、逆に避難のスピードが落ちて津波に遭いそうになったケースもありました。
防災リュックの重量は、性別や年齢に関わらず、「自分が走って逃げられる重さ」を境界線とすべきです。目安として、成人男性で10kg(最大でも15kg)、女性や高齢者で5kg(最大でも10kg)を強く推奨します。
原則3:リストではなく「用途」で考える
カタログのチェックリスト通りに揃えるだけでは不十分です。非常持ち出し袋の中身は、機能別にグルーピングした「用途」として考えるべきです。これにより、状況に応じて必要なものだけを素早く取り出したり、複数人で役割分担したり、不足している機能を見つけやすくなります。
- サバイバル用途:水、食料、医療品(命に直結するもの)
- シェルター用途:防寒、雨具、寝袋(体温と安全の確保)
- 情報・道具用途:ラジオ、ライト、ロープ(判断と作業の助け)
- 衛生用途:衛生用品、常備薬(健康維持)
生存の土台— 「水」と「食料」の経験則

「水」と「食料」は、生存の土台です。しかし、ただ詰め込むだけでは不十分です。
1. 水:絶対的な最優先事項
人間は、食料なしで数週間生きられますが、水なしでは数日も持ちません。避難所での断水、給水車の遅延は、福島の経験からも明らかです。
- 備蓄量:1日あたり最低2リットル、3日なら 合計6リットル
- リュックに入れるのは1.5~2リットルまで:6リットルは重すぎます。残りは自宅の玄関など、すぐに持ち出せる場所に「予備水」として分散備蓄すべきです。
- 形態:500mlペットボトル(3~4本)を推奨します。1本ずつ取り出しやすく、重さを分散できるためです。
2. 食料:精神的支えとしての役割
「栄養価が高いもの」だけでなく、「調理が不要で、すぐに食べられるもの」「精神的な充足感を得られるもの」のバランスが重要です。
- 重要アイテム:
- アルファ米:調理不要で温めなくても水だけで食べられるタイプ。
- 羊羹やチョコレート:短時間でのエネルギー補給と、ストレス軽減のための甘味。
- 経験者の視点:乾パンは非常食の定番ですが、口の中の水分を奪うため、私は優先度を下げています。しかし、子供も抵抗なくすぐに食べられるため、汎用性が高く、有るだけで安心感が得られます。水や熱を使用せず「そのまま口に入れられるもの」は非常に有効です。
情報を制する者は災害を制す— 命を守る「ツール」

情報と照明、そして最低限の工作道具は、極限状況での判断と安全確保に直結します。
1. 情報収集:正確さとバッテリーの確保
- 手回し充電式ラジオライト:これこそが命綱です。スマートフォンは基地局がダウンすれば使えません。ラジオが広域情報(地震情報、津波警報、避難所情報、原発情報)を得る唯一の手段です。
- 必須機能:AM/FM対応、スマートフォンへの充電機能(USB出力)。
- 予備バッテリー:モバイルバッテリーは、最低でも20000mAhのものを一つ。大容量でも、充電残量がすぐに確認できるデジタル表示のものが便利です。ラジオライトに蓄電機能があればベストです。ケーブル類も忘れないこと(Type-C、ライトニングなど)。
2. 明かりと安全の確保
- ライト(懐中電灯):瓦礫の中での避難や作業、夜間のトイレ移動などでは必須です。手回し充電式だと電池切れの心配もなく理想です。
- 笛(ホイッスル):瓦礫の下に閉じ込められた際、大声を出すより格段に体力を消耗せずに自分の居場所を知らせることができます。軽量で、常にリュックの外側など、すぐに取り出せる位置に装着すべきです。
3. ロープ
- ロープ(パラコード):衣類を干す、荷物を縛る、簡易シェルターを作る、あるいは人を吊り上げるなど、汎用性が非常に高いです。
体温の維持と衛生— 見落としがちな「死因」と「病因」

災害時の死因の多くは、外傷ではなく「低体温症」や「感染症」です。これらへの対策はリストの後半になりがちですが、生存の質を決定づけます。
1. 防寒対策:体温=生命維持
- アルミシート:超軽量・超コンパクトで、体温の90%を反射し、低体温症を防ぎます。水と並んで必ずリュックに入れるべき必須アイテムです。
- 寝袋(シュラフ):アルミシートより保温性が高く体をすっぽり覆えるため、避難所でのプライバシー確保にも役立ちます。
2. 衛生用品:感染症の予防
避難所生活では、不衛生な環境から感染症が広がるリスクが極めて高くなります。
- 除菌シート、ウェットティッシュ:水が使えない状況での手洗い、体の拭き取り、食器の除菌に大量に使います。
- 簡易トイレ(凝固剤付き):断水時、自宅や避難所のトイレが使えなくなった場合の必須アイテム。臭い対策にもなり、精神衛生上も極めて重要です。
- マスク:埃、瓦礫の粉塵、感染症対策、防寒に。
個々のニーズへの対応

非常持ち出し袋は、家族の人数分用意するのが基本ですが、それぞれの必須物は「個人の命」に直結します。
1. 医療品:常備薬と救急キット
- 常備薬:高血圧や糖尿病などの薬は、医師に相談の上、最低1週間分を防水袋に入れて備蓄します。薬がないために命を落とすケースは、震災時、実際に発生しました。
- 救急キット:絆創膏、包帯など。
2. 貴重品と連絡手段
- 現金(小銭):停電でATMやレジが使えない場合、公衆電話(小銭が必要)が唯一の通信手段になり得ます。10円玉を多めに。
- 身分証明書のコピー:運転免許証、健康保険証、お薬手帳などのコピーを防水袋に。
3. 女性と乳幼児、高齢者への配慮
- 女性:生理用品(多めに)、プライバシー確保のための大きめの布(ポンチョや大判ストール)。
- 乳幼児:粉ミルク(液体ミルクを推奨)、紙おむつ、離乳食、体温計。
- 高齢者:入れ歯の洗浄剤、補聴器の予備電池、老眼鏡。
経験者が考えた防災リュックがあれば最適

ここまで、私は東日本大震災の経験に基づいて非常持ち出し袋に本当に必要なものを詳細に解説してきました。
「水、食料、情報、防寒、衛生」の5つの柱を自分で考えて揃えることの重要性を理解していただけたと思います。しかし、現実問題として、仕事や育児で多忙な現代人が、これらの要素を一つ一つ吟味し、品質と携行性を両立させた上で揃えるのは、多大な時間と労力を要します。
そして、最も重要な問題は「本当に役に立つ道具の見極め」です。
非常時において防災用品の「信頼性」はあなたの命の値段です。
東日本大震災の経験を経た今、私は自信を持って一つの結論を提示します。
それは、
「経験者が考えた防災リュックがあれば最適」
ということです。
ここで言う「経験者が考えたリュック」とは、防災士や被災経験者が企画・監修し、現場での声を反映させて作られた「本当に使える道具」が詰まったセットのことです。
これらの製品は、単にリストを埋めたものではなく、
- 携行性と機能性のバランス(重すぎない、取り出しやすいレイアウト)
- 道具の品質(高価過ぎず、必要を十分に満たす)
- 用途別整理収納(水や食料、その他はすぐにわかるポーチに)
といった、現場で生死を分けた知恵が詰まっています。
自分で揃えることは素晴らしいことですが「時間と労力を節約し、確実に命を守る質の高い備えを手に入れる」という意味で、プロの防災士として、私たちは推奨しています。
あなたがすべきことは「そのリュックに、あなたと家族の個々の必要物(常備薬、現金、身分証明書コピーなど)を確実に加えること」です。
非常持ち出し袋は保険です。そしてその保険は「経験によって最も確かなものとなる」のです。あなたの命と大切な人を守るために、最も信頼できる「経験者が考えた防災リュック」を備えてください。

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